今年、今までに読んだ本の中でもっとも素晴らしいと感じ、もっとも心の深い場所に触れた本です。
いままでの震災関係の記録が取りこぼしてきた視点、でも一番大切かもしれない方向から書かれています。
ああいう、自然災害で亡くなった家族を思うと、残された家族は自然が相手だから責めるものがいない。だから生き残ってしまった自分を責めてしまうのですね。それゆえに心を病んで、長く立ち直りに時間を要した人がいたり。
ひとつの場所で何人も多くの死者が出ても、それぞれの家族が体験するのはかけがえのない家族の「MAX」である死、という体験。
我が子の慰霊碑を「あの子が生きていたのを忘れないために」と建立し、「記憶する」ために抱きしめる、語りかける母親たち。
672体という数のご遺体を仮埋葬から掘り起こし、暑い中で埋葬し直す大変な仕事をひとりの脱落者も、病む人をも出さずにやり遂げた葬祭社のすごさとか…。
とりわけ一番強く心に焼きつくのは、やはり最初の章に書かれたタクシードライバーたちの経験談でしょう。
暑い季節にも関わらずに乗せた乗客が一様に冬のコート姿なのを不審に思いつつ、普通に話をし、送り届け、小学生の少女を車から降ろすのに手を取るまでしたのに…彼女の姿はそこで消えてしまった。
途中で姿を消した青年は恋人の安否を心配し、車の中に彼女へのプレゼント(リボン付き)を忘れて行った。
そういう「冬服以外は普通にしか見えない」乗客を乗せてしまったドライバーたちは、それを怪奇なこととは思っていないのですよね。ちゃんと記録に残っているし、ガソリンも減っているし夢でも幻覚でもない。その消えた人たちのことを「幽霊」と表現すると怒るドライバーもいる。
あれはもっと違うものだと、彼らの中ではその乗客たちはいつしか畏怖する存在へとなっていて、匿名だったら話す、ということで、ドライバーたちの中でその体験は本当に特別なものになっているのですね。
「またああいう客に会ったら、もちろん乗せるよ」と語る彼らの中にものすごく大切なものを見つける人は少なくないと思います。私がいつも感じている、「あの世とこの世が近い」という感覚は、喪失の痛みをわずかずつ緩和する働きがあるのかもしれません。
青年が忘れて行った彼女へのプレゼント、ドライバーはいつも車に乗せているそうです。「今度会ったら返してあげたいしね」…と。
最近の日本人が忘れていて、あえて考えないようにしていた「死」というもの。震災で家族を亡くした人たちは否応なしにそれと向き合うことを余儀なくされましたが、災害列島に住む私たちにとっては決して他人事ではないのですね。
「死」を思わない生は「不完全な生」だと私は思っています。
この世とあの世の近さを感じると、なにがあっても不思議ではないと思います。そして意外なことですが、それを感じることで救われる生者も少なくないのです。
取材から始めて、この本を構成する原稿を書いたのは大学のゼミの学生たちです。こういう感受性と真摯な姿勢を持った若い人たちの手で書かれた本。…日本もまだまだ捨てたものではないかもしれません。
ひとりでも多くの方に読んでいただきたい本です。
追記*FC2の方で、ゼミの金菱先生からいきなりコメントをいただいてびっくりしています。学生さんたちにもLINEで送りました、とのことで、そういう時代なんですね。双方向 (^_^;) いや、でも気持ちを伝えられて私も嬉しいです (^_^)