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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

病気という経験から得たもの

昨日は休日の気軽さもあったので、病院に行く往路はバスに乗りました。でもクリニックとは反対方向なので、バス停もいつものバス停じゃなくて、えらく遠くに移動していて、戻るにも遠いし、結局結構な距離になってしまったわかですが、まあ、運動になっていいかなあ、と… (^_^;)真夏だととてもこうは行きません。ぶっ倒れてそうだ (ーー;)

 

母は入院時の部屋から整形外科のナースステーションの隣の部屋に移っていました。もう、気持ちもすっかり落ち着いたみたいで、覚悟を決めたように思われます。あの時、姪がくれたメールがえらくベストタイミングだったみたいで、離れていても強力な「孫の力」を思い知りました。すごいね。孫がやさしいのが嬉しい、心配かけたくないから頑張る、という感じです (^_^;)

 

いやー、本当にずーっと心にかけていただけあるよね~。明日は早めに出ようと思っています。

 


それにしても私もパニック障害で、一人でバスにも電車にも乗れない時期が相当長かったんですよ。うん…。本当に30年近く。

 

それが今では平気です。…っていうか、そもそも自分の身体の状態なんて気にしていませんですね。他のことばかり考えているので、自分の身体に神経が向かないというか、そういう感じ。

 

さらに夏に辛いけど動かないといけない時に、「なにかあっても病院だからなんとかなるわ」と開き直ったのもよかったみたいです (^_^;) こういう開き直りを積み重ねていくうちに自信になっていくんだな。一種の認知行動療法ですね。

 

 

 

私の自己肯定感の中には子供の頃の弱さとか、高校時代の病気でのつまづきとか、そういうのももちろん、現在の双極性2型障害も含まれています。
でも私にとっての病気はマイナス要素ではないんですよね。いずれも貴重な経験を重ねて得たものが多いから、むしろプラスですね。

 

それはいまだに不自由は多々ありますが、出来ないことが多くあっても、それを補って余りあるものが残っているので、その「出来ること」を大切にしようという優先順位が働きます。こういうことに気付けるのもありがたいと思います。


幼くして病気を経験した子供は精神的に大人になるのが早い傾向がありますが、結構「死ぬこと」を意識して人生全体を見つめることってすごく大きなことだと思います。世間一般の価値観も競争も意味がなくなるから。本当に大切なものがわかるから。

 

自分の価値観で見ると、たとえば人を見ていてもその人の人格とか、魂の崇高さと、それらに基づく行動などが尊敬に値すべきものであることもよくわかるので、地位とか名誉とか学歴とかそういうものはほとんど意味がなくなりますね。基本の部分はみなさん同じ重さ。そこからその人の人間性とか魅力とかが加味されてきます。

 

私が見ているのはそういう世界です。私自身にもコンプレックスはありません。

 

すべての人はその人らしく、無理なく出来る範囲で心を尽くしてくださればそれでベストなんだと思います。で、多分私もそういうふうに懸命に生きている人を見つけるのが得意なんじゃないかと思います。

 

こういうふうに見る目を磨いてくるのに、病気というのは経験として非常に役立った(現在も役立っている)と思うので、実は私は自分の病気にも感謝しているのです (^_^)

 

 

 

★明日は母の手術日ですので、ブログを書けない可能性もあります。時間的に…。
なるべく休みたくないですが、無理だったらごめんなさい m(_ _)m

 

 

 

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