今日も病院に行く予定なので、予約投稿しておきますね。
「自己肯定感」という言葉があります。
要するに長所も短所も含めた自分自身をまるごと愛することが出来ることだそうです。自分をまるごと肯定出来ると、自信にもつながるし、自分のペースで果敢に挑戦出来るようになるとか。
これが低いと、何事にも自信が持てず、挑戦することにひどく臆病になってしまったりして、幸福感を感じることが少なくなるそうです。(でも大人になっても低くても嘆くことはない、とあちこちのサイトにありますから見てくださいね)
私もわりと最近知った概念だったりするんですが。
私自身、気がついた時にはすでに肯定感をしっかりと持っていました。
これは非常に身体が弱い子供であったにも関わらず、常に私を一度も否定したり非難することもなく、褒め続けて長所を伸ばしてくれた両親のおかげによるものだと思っていました。
なにがあってもこの世の中で最後まで自分の味方でいてくれる両親の存在はなにものにも換えがたくありがたいものでした。何事につけても挑戦すること、失敗しても「大丈夫」と言ってくれる存在がどれだけありがたいことか。
おかげで自己嫌悪で一杯の思春期も10代限りで自己嫌悪からも卒業しました。悩んでいる暇があるなら行動しようと思ったので。開き直りとも言います (^_^;)でも開き直りも上手く活用すると便利なんだよね。
ただ、高校生の時からずっと、30年以上悩まされていたパニック障害も、やはり父の介護がきっかけで改善から治癒に至りましたし、これも懸命に行動していた私に、両親がくれた贈り物だと思っています。この先の人生もひとりでしっかりと生きていけるように。
守られる側から守る側に…。この意識変革は大きいですね。
どんなに多くの家族に恵まれていても、この世での生を終えて旅立つ時はなにも持たず、ただ一人の旅立ちです。とことんまで見送ることは出来ますが、最後はやっぱり一人だけで逝かないといけません。
この事実が今現在生きていることに対しての認識も新たに換えてくれました。旅立つ側から振り返ると人生でなにが大切か、なにを求めて生きるのか、そういうことがとてもよく見えてきます。
私は父の死を追体験することによって、深く死のそばに寄り添いました。何者にも換え難い体験でした。
母があとどれくらい、頑張って生きていてくれるかわかりませんが、やはり父の時と同様にやり残した後悔はしたくないと思います。
まあ、介護は本当に大変ではありますが、それも含めて両親には感謝しかありません。この両親の元に生まれたことが第一で最大の私の幸福だと思っております。幸せですね、私 (^_^)