予約投稿です。ご飯を作るつもりではありませんが…。
ふと気付いたら、昨日は特養からの電話の応対と、弟にタバコまでは持てない、と話したのと、コンビニで「お箸は要りません」と話した以外に口をきいてないなあ、と思いました。
なんとなくちょっとうつ傾向??なんだか喋りたくない日、というのもあるよね、と思います。口をきくのも面倒だと思うことがあるんだな。饒舌になる日もまたそのうちにあるので、こういう波はまあ、仕様がないかな、と思います。
お絵描きと、本は読んでました。
村山早紀さんの「コンビニたそがれ堂」シリーズのセレクションのハードカバーです。
風早の街には、本当に真剣に欲しいものがある人だけが辿り着けるコンビニがあります。たそがれ時に優しい灯りが求める人を導きます。店に入ると、長い銀色の髪、不思議な金色の眼の青年が制服を着てレジの中に立っていて、優しい笑顔で迎えてくれます。
……そういう設定で、コンビニを訪れるのは小学生から老人まで、時には子猫だったりもするのですが、彼らが真摯に探し求めるものは「この世には存在しないはずのもの」でも必ず見つかるようになっているようです。
コンビニの店長の青年は、実は風早の街を守護する狐の神様で、はるかな昔から、この街どころか、この国ができる以前から、この土地を見守ってきた白狐でもあるようです。
読後、非常に癒され、励まされるシリーズです。読み終えた時に前向きな気持ちになっているのが不思議です。もともとは子供のために生まれたシリーズですが、いまでは多様な客層と同じように幅広い世代の人に愛読されているようです。
ただ、私の場合、一時期、この作品が読めなくなったことがありました。
東日本大震災と原発事故の直後です。ネットを介して入ってくるありとあらゆる情報に、翻弄され、どれを信じたらいいのかもわからなくなって、精神的な迷子状態になっていたのかもしれません。
前向きな展開をするこの作品がなぜか辛かったんですよね。自分でも戸惑いました。どうして苦手だと感じるのか、自分でも原因がわからなくて…。
やがて原発事故関連の報道からは適度な距離を置いて眺めることを覚え、再びの在宅介護、今度は母の介護に突き落とされて翻弄されているあいだに、やや後ろを向きつつあった私自身は、またいくらか強くなって、以前よりもしっかりした前向きな思考ができるようになっていたようです。人間って大人になってしまってからでも成長が可能な生物だったんですね。
気がつくと、再びこの物語の世界と波長が合うようになっていました。それどころか、キャラクターよりももっと前向きな人間になっているかもしれないなあ、となんとなく思えます。
まあ、そうですから、後ろ向きな時期の自分を責めなくてもいいと思いました。前向き思考が合わない、きついかも、と感じる時はちょっと休んでもいいのかもしれません。でもそれは一時的なものだから案じたものではなさそうな気がします。
ちなみに躁鬱ともあんまり関係はありませんね。私の場合は特に。転んでもただでは起きない、というタイプですから…(^_^;)
震災の前にはこういうシーンは浮かばなかったけれど…。読んでる途中で何回も、うちのちび白狐ちゃんが、まっすぐにコンビニの中に走り込んで、「きゃう♡」と店長に抱きつくシーンが浮かんで消えなくてまいりました… (;゚∀゚)
そのうち絵に描いてみてもいいかもしれないなあ…と妄想しております (^_^;)