今日もしんどいので、著しく作業効率がダウンしています。仕様がないけどもどかしいなあ…。
そういえば効率云々の話で、2、3日前から、ネットでよく見るので、なんとなく気になったこと。
「生産効率の悪いヤツ(障害者も含む)は働かせない方がいい」というような話で、もともとは、ああ、やっぱりか、のホリエモンの発言がきっかけになった論争(?)のようですが…。
健常者だろうが、障害者だろうが、仕事が出来ない人間はさせないほうが損にならない、というような意図らしいです (ーー;) 税金の無駄遣いにもなるし、障害者は生活保護をもらって暮らせ、ということらしいです (ーー;) それも税金なんですけど。
経済的な視野からしか見ていない偏った意見なのは間違いありませんが、こういうことを言い始めたら、「仕事が出来ない人間には経済に参加する価値がない」って極論にならないのか?という危惧を覚えました。
そもそもどうしてみんなが働きたいと思うのか?ということをきちんと把握出来ているとは思えないんですけど。
お金のためだけに働いている人は少なくないかもしれませんが、それだけじゃなくて、社会に貢献が出来る喜びとか、「誰かの役に立っている」という実感とか、そういうことってすごく大きんじゃないの?とりわけ相手が人間である場合、「誰かの役に立っている」という実感は大きいと思います。それこそ介護とか医療とか教育や育児とかもね。
そしてそのやり甲斐は生き甲斐にも結びつくわけだから、障害者の人でも誰かの役に立ちたい、と思うのは人としてすごく自然な気持ちだと思います。人との関係に疲れている人は無理しないで休めばいいんです。そうじゃなくて、人と関わりたくなったら、やっぱり働きたいと思うのって自然の感情ですよね。
昨日言っていました「魂の救済」のようなものは、実は神さまとのあいだに起きるのではなくて、あくまでも人間同士の間で起きる奇跡のようなものなんですね。だからそういうものを見つけたければ人との間に飛び込まなくてはいけないのです。
こういう「金銭ではかれない大きな価値あるもの」はやっぱり経済的効率の中からは生まれてこない気がします。効率ばかりを重視してきた結果がいま現在のもろもろ世知辛い時代を構築しているのかも、と思えばね。
「本当の幸せ」というのは効率がいいばかりの社会には見失ってしまうものなのかもしれません。
そもそも私自身が大抵の仕事は「手早く、器用に効率よくこなせるけど、疲れやすい」という人間なので、効率ばかり主張されると頭に来るんだけど。
この話題は疲れるからもうやめます (ーー;)