いいお天気だなあ。なかなかどこにも行かなくてもいい日というのは少ないもので、今日もコンビニだけには行ってきました。このごろはなんらかのおかずは家で作るので、お弁当を買うことも珍しくなっています。おかげでゴミも減少していたり…。えらいもんだと思いますね(^^;)嶺
創作のあとは、気を抜いた途端にどーっと疲労感が押し寄せてくるので、睡眠時間が長くなりがちです。昨日は結構しっかりとマッサージしてもらったけど、まだ背中の凝りは消えておりません。母も首の凝りがひどくて、手が痺れたり、眼が見え辛くなったりするらしく、仕方がないので、お互いに相手をマッサージしております。首の場合は指の関節を使うので、そのうち肘のみならず、ここにもタコが出来るかもしれないなあ…(^^;)怜
昔は指のペンダコくらいしかなかったんですが、いつのまにかペンダコは消えましたし、替わって肘のマッサージタコは当分消えそうにありませんね(^^;) ふー、やれやれ。蓮
お絵描きの合間にぽつぽつ作業していたんですが、ヴィンテージの花のカットを使ったシールをプリントしたりしてました。これはまあ、個人使用ですね。Dover社のカラーの素材集はTIFF形式で保存されてました。それをIllustratorで編集したんですが、このTIFF形式っていうのはWindowsもMacで利用可能な形式のようですね。一応心に留めておきたいと思います。今後の参考になるかもしれませんし…。
こういうものを利用して、ちまちました雑貨とか文房具とか作るのも面白いなあ、と思うんですが、なかなかそこまで手が回らないのが現状です(ーー;)輦
昨日、サイトに更新した作品がらみで、いろいろと考えておりました。神を降ろすシャーマンというのは本来無性というか、性別を超えた存在なのかもしれないなあ、と思います。樹なつみさんの「八雲立つ」でもそういう設定になっていましたしね。
古代においてはなんらかの障害のようなものを持つ人であっても、むしろそれが「神に近い存在」として大切にされていたとも言われています。誉津別皇子(ホムツワケノミコ)のエピソードでもそういう関連があって、彼は疎まれるような存在ではなかったとも考えているのですが…。きちんと調べたわけではないので、正確なことは言えませんが…(ーー;)怜
比較しての現代、そういう古代の感性はどこに行ってしまったんだろうな…と思うとため息が出ますね。同じ人類の中での優劣意識はどこから生まれてくるんだろうな、と思います。人種の差や国の違いやその他もろもろの差別意識というもの…。
もしかして、人間というのは差別意識を持たないと自分自身に対しての自信が持てないのだとしたら、それは哀しいなあ、と思います。蓮
本来こころはどこまでも広く広げられるものだと思いたいですね。肉体や能力などの違いを超えて、それぞれの人がそれぞれに世界でただ一人の大切な存在だと信じられる世の中になって欲しいと願っております。烈