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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

やっぱり本が好き

 いいお天気ですね~。

昨夜寝る前には、今朝起きたら頑張って大きなものの洗濯をしよう、と考えていたんですが、朝になるとやっぱり具合が悪くて、なかなか起きられず、夕方までに乾かしたいものの洗濯をする、というのは早々と諦めてしまいました(ーー;) まだこの先の春本番にいくらでも晴れる日があるよね、と開き直る。蓮

大体夕方以降は体調もよくなるので、夜には「明日は○○して、次に○○して…」とかなり働き者な予定を思い描くんですが、朝になると具合の悪さであっけなくポシャる、というのが鬱の通例になっております(ーー;)嶺

母も私もそういう繰り返しなので、なにかひとつのことでも出来たら万歳、ってふうに思わないとどうしようもありません。輦

母は今日は豚汁作れた、と言ってましたし、私は私でシールの試し刷りが出来たから、ということで、足りなくなりそうなインクカートリッジの注文をしたくらいで、あとはぼーっとしております。あーあ…。蓮

ぼーっとしているので、今日はあんまり哲学的なことも内省的なことも考えておりません。だからネタに困っております。どうしようかなあ…(^^;)怜

 あー、そういえば、先日からいろいろと読んでいる本で感銘を受けたものが多くて、意義ある読書だったなあ、と思ったので、弟に「読む?」た訪ねたら、「本を読むのは嫌い」と返事が返ってきました。残念だなあ。知恵と気付きの宝庫なのにね。嶺

同じ鬱の中でも、私は現在テレビやラジオ、音楽も苦手な感じで、長い時間そういうメディアと触れているのが辛いんですが、そういうものと比べると読書というのはすごく楽なんですよね。

これはもう、子供の頃から読書というのが生活の一部になっているからだと思いますが…。まあ、私個人にとってはテレビよりもラジオよりもおつきあいの歴史が長いメディアですし…。どこまでも自分のペースでどこででも読めるのがありがたいんですよね。鍊

触れている主体があくまでも自分自身だっていうのがいいのかな。

まだ文字が読めない1歳なるならずの頃から、どこに行くのも絵本を抱えて行ったという家族の話があります。当時の遊び場は車が来なくて安全な京都御苑の中の芝生の上でしたが。それもいつも本を持って行っておりました。

そのままずっと続いているので、読書というのはいつのまにか自然に習慣というか、ごく当たり前のことになっていたんですね。

 中学高校生の頃はまだネットなんて便利なものもありませんし、本に出会うのも偶然というか、運命のような感じでしたが、それだけに「人生を変えた本」に対する思い入れも影響も大きかったですね。漣

それと現代国語の教科書に一部だけ取り上げられている作品なども、ふと興味を持ってしまって、そのまま原作全部を読んでしまう経緯になったものも少なからずありました。

その勢いで世界の文学にまで手を伸ばして、10代の頃にはどうも実感が伴わず、結局ただ読んだだけ、というものも多かったですが…。(特にロシア文学あたり…)嶺

大人になるとかえって手が出にくくなるジャンルですし、まあ、あれもちょっと背伸びした読書体験だったかもしれません(^^;) 

ちなみに私は活字でも漫画でも同じ感覚で読んでいますので、両者の間の隔たりは感じないんですね。うちの弟もそうですが、本が嫌いだと漫画すら読まない、と言いますし…。面白いものですね。

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