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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

父の背中

6時前から起きてるけど、相変わらず寝不足です。このあいだから、3度にわたって、少しずつ様子を見ながら、父に飲ませていた緩下剤の効果がやっと出まして、昨夜はおむつ交換が7回に…(汗) そのうち1度はパジャマやタオルまで取り替えることになったし、夜中に母も「胃が痛い」とか言うし、背中のマッサージしつつ1時間以上起きてましたし。トータルしてもあんまり寝てないかも…。

 

上手く昼間だけの交換になるようにって、調節も出来ませんし、難しいです。本人は今はぐっすり寝ています。…でも薬の効果が残っていたら、まだ続きがあるかもしれないなあ…。

 

介護の毎日には本当にいろいろとありますね。明日は祝日でもマッサージだし、明後日は自分の通院日だし。 なんかしらやっぱり忙しいようです。ため息。

 

 ………………………

 

 

起きてた夜中に母といろいろ思い出話などもしてまして、今現在、父が受けている扱いは、わりとふさわしいものだよなあ…と思っておりました。昔から母にも私たちにも優しい人だったですね。

 

私が生まれて一番最初にしゃべった言葉が「パパ」だったそうで、それ以来、うちの親は「パパ」「ママ」になったらしいです。どこでそういう呼び方を覚えたのかは謎ですが。

 

弟が生まれる前は、毎晩市電の停留所まで、母と二人で父を迎えに行ってたとか、肩車で神社の夜店に行ったとか。お給料日には停留所の前の本屋さんで本を買ってもらうのを楽しみにしてたとか。

 

身体が弱く、しばしば熱を出したり、自家中毒で意識をなくしたりしてた子供でした。

 

弟が生まれて間もなく、夜にかかりつけの小児科の先生のところにバイクで診察に連れて行ってくれたのは父でした。落ちないように紐で括りつけてもらって、しっかりとベルトを握って。当時はまだ自家用車がなかったんですね。背中が大きいから前は見えなかったけれど。安心感はすごくありました。

 

で、診察が終わった帰り道で雨が振って来て、父は途中でタクシーを拾って私だけを乗せて、自分はそのままバイクで濡れて帰ってきました。

 

そういうこととか、かなり印象的に記憶に残っています。

 

みなさん、現状を「幸せですね」と父に言ってくださいますが、そういう記憶があると、やはり充分なことをしてあげるのがしごく当然だと思えてくるのですね。義務感とか責任感とかそういうものじゃなくて、同じだけかそれ以上か返したくなるなあ、と思って。

 

うちの親子ってやっぱり幸せなんだなあ、と今にして改めて思います。

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