GWの最終日が雨だから、ちょうどいい休養になるのかな。今日も誰も来ない日なので、ぼーっとしています。あ、でもさっきちょっとだけ伯父と従兄がお見舞いに来てくれました。父の元気な時を知っている人は現状を見るとショックが大きいみたいですね。まあ、それも仕方がないですが。この病気もひどいほど元気な時との落差が激しいからなあ。うちの場合もほとんど半分以下の回復しか望めないので、時々、ふーっと空しい気分にもなりますが(汗)蓮
しかしながら、私もPCの前に座っている時以外はどうしてもごろごろしてしまうので、Illustratorでちょっとお絵描きしてみたりしています。和の花のスタンプを試しに作ってみようかなあ、とか。劣 ああ、でもどのみち小さくする原稿だからあまり線のめりはりがないほうがいいのかもしれません。
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何気なく立ち寄ったサイトで、いわゆる「霊能者」と呼ばれる人のことについて、「その能力は前世で罪を犯したから、その償いをするために持って生まれた」というようなことを書いている人がいました。はあ、初めて聞いたけど、そういう考え方をする人がいるんだなあ、と。
私は個人的には霊能力はその人の個性だと思っています。スポーツが出来るとか、芸術の才能があるとか、歌が上手いとか、そういう才能と同じような「個性」だという感覚ですね。
あくまでも特殊な能力だというわけではなく、その力によって、自己を深く探究する課題と、さらには他の人を幸せにするためにどういうふうに使えるか…。どういう種類の才能でもそれは同じだと思っているのですが。
自分の能力がなんのためにあるのか?と考えると、自然と自己を顧みる機会が増えると思います。人間である限りは己を高めたい、という欲求も自然と存在するでしょうし。さらには誰か他の人のためにも役に立てたいと望むのではないかしら。
でもどういう才能でもそれがお金儲けだけが唯一の目的になってしまったら、それ以上の成長は望めないと思うのですよ。もっと深いところの満足を得るために生きているのではないのかなあ、と思います。
別に前世がどうあろうと基本的には魂は差がないと思います。ただ以前にも書いたことがあるけど、転生と経験を積んで、成熟した魂とまだ未熟な魂との差はあるでしょうが。
霊能力者だけではなくて、どんな人でもきっとこの世の中での機会は平等に与えられているのではないかなあ、という気がします。魂の成長のための機会は。
だから特別な能力の持ち主だから、と天狗になるのは言語道断ですね。そういう行動をしてしまったら最後、成長の機会も失われてしまうのかもしれません。もちろんあとで気付けば取り戻せますけど。
霊能者という人たちに対しては、やはり「誠実さ」がその人の人格を現しているような気がします。今を生きる人たちに普段とはちょっと違う角度から適格なアドバイスと励ましが出来る人。死者のためというよりは、今、生きている人のためにどれだけのことが出来るかで違ってくると思います。
特別な畏怖とか尊敬とか、そういうものとは無関係なものです。ごく普通の人間として尊敬出来るような人であれば、どういう世界に生きる人でも素敵な人だと思います。