お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

大切なものは眼に見えない

 室内にいるとまだわりと寒い感じがするんですが、かえって外の方が暖かいのかな?

今日は珍しく母が薬局に買い物に行ったりしております。少しでも暖かくなるとご近所さんたちが表で立ち話とかしていたりしますので、そういうのに混ざりやすいんですね(^^;) そういう他愛ない世間話でも母の場合は気晴らしになっていいと思うなあ。鍊

お向かいの家に毎週やってくる1歳のお孫さん(女の子)がすごく可愛いんですよ~。漣

マンション住まいだと、こういう昔からのご近所つきあいとかないから、こちらに来て、近所のおばちゃんたちと話して、保育園の幼児クラスみたいな所に顔を出すのがいいみたいです。でないと人付き合いが苦手な子供になっちゃう心配がなきにしもあらずですよね~。嶺

ふと自分の子供時代などを思い出す。舗装もしていないこの前の道そのものが遊び場所でした。なにしろご近所には子供がいっぱいいたからなあ…。いろんな年齢の子供たちがまざって遊んでいたという、まあいい時代でした(^^;)鍊

で、今日の私はちょっとゆっくりしている感じです。気が早くサイト開設9周年用の配布壁紙など作ったりしていますが…。フリー配布出来る作品を描かないとなあ。あとひと月あってもちょっと気合いが必要かもしれません(^^;) あと、今夜始まるメモ帳の印刷受付にしっかりと入稿しないとあとが進まないぞ~(^^;)嶺

そういえば、今年のお彼岸23日に、斎場で拾えなかったお骨の残りのご供養をまとめてします、という連絡はがきが来ました。昔はそういうサービス(?)ってなかったんですが、このごろはそういうことになっているようですね。うーん…上京区か…。母と私と体調がよければちょこっとお参りしてこようかなあ、と考えております。

私個人はお骨そのものに特別な執着とかはないんですけど…。むしろ以前よりも父の存在は常に身近に感じているので、形あるものに頼らずとも大丈夫なんですが、まあ、人類みな家族ですし、いままでにご縁がなかった人の分もお参りしてくればいいかなあ、と思ったり…。烈

タイミングがよければどこかで桜に出会えるかもしれませんしね~。劣

 一昨日読んだ鈴木秀子さんの本で、それなりに納得出来ることに出会って、ちょっと嬉しかったりしてました。

鈴木さんはシスターなので、キリスト教のこともわりと詳しく説明されていたりするんですが、その協議というか、本当にイエスの行動の意義とか、真理とか、なんだかとても納得出来たのですね。すべての宗教を超えた根っこにあるものについて、非常に「腑に落ちた」感じがしました。烈

この「腑に落ちた」理解が増えて行くにつれて、気持ちが楽になってくる実感があります。理屈ではなく、いや、別に理屈が通るからよけいにわかりやすいんですが、真理に近づくと楽な気持ちになっていくものなんだなあ、としみじみ思います。劣

 仮に寝たきりになって、動けなくても、それでもまだ世界のために出来ることがあるんですよね。たとえばシスターさんたちとかだったら「祈ること」ですね。世界の人びとのために祈ること。思念もプラスのエネルギーとして世界に働く力があるんだなあ…。漣

だとしたら、仮に寝たきり状態になってもまだ自分に誰かのために出来ることがある、っていうのは嬉しいことですね。それぞれの立場で自分が出来ることに最善を尽くせばいいんだってことですね。だから世の中のどんな命にも同等の価値があるわけで…。烈

こういう肯定は勇気のもとになりますね。どういう時でも自分の出来る範囲で最善を尽くせばいい、っていうのは嬉しいことです。励みになりますし…。撚

 で、こちらは昨夜読んだ本。著者は現役の精神科医なんですね。

お医者さんといえば最先端科学の子、っていうイメージがありますが、精神科の分野は「目に見えない心の世界」を相手にするわけで、それだけ複雑な心の問題と向き合うことになります。

で、この先生は目の前で、いわゆる「憑依霊」の存在を見せられるような体験をされたんですね。たまたま霊能力を持った普通の主婦の人の協力で、「解離性人格障害」などの別人格のいくつかには、本人が生み出した人格以外に、そういう憑依霊が憑いていることがある、それをきちんと浄霊した上で、人格統合をしていくことで、症状が軽くなる経緯をお医者さんらしく冷静に観察、分析しながら試行錯誤しておられます。

実は私個人はいわゆる「魂の世界」を無視して、精神科のジャンルは成立しないんじゃないかなあ、と素人なりに思っていましたので、こういう治療法を模索されているお医者さんが存在することに希望を持てるように思います。鍊

やっぱりね、魂の存在や輪廻転生、あの世のことなどをきちんと視野に入れていないと、なんだか不自然だよなあ、というのがこのごろの私の感覚なんですね。特別にスピリチュアル寄りではなくても、なんだかすごくまともに考えてもそういうふうにしか納得出来なくなるんです。嶺

で、表に現れない内在性乖離もあって、そういうことに鬱病統合失調症を改善する方向に向かえるかもしれない、ということでした。

この内在性乖離というのは、私が感じているキャラクター云々とはまた違う感覚のようです。自分がこの世に存在している実感が薄いような…離人症というのかな…私も若い頃にそういう経験がありますが、そういう形でわかることもあるようです。

マイナスエネルギーイコール憑依霊だとすると、波長を高くすることの大切さもわかりますしね。

もちろんきちんとした薬の処方を必要とする場合もありますが、いろんな視野で看て行くことの大切さがよくわかりますね。眼に見えないものは複雑でわかりにくいものではありますが、それゆえに人は人らしくあるのかもしれません。面白いものです。秊

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