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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

天に貯金する

丹 微妙に復活しました。が、まだ本調子ではないようで、縫い物などをする元気は出ません。まあ、急ぐこともないとは思うのですが。PC作業だけはかなりしんどくても出来るかなあ。これで出来る仕事があればいいのになあ、とつくづく思います。

今日はぼちぼちとお絵描きでもしようかなあ、と考えてはいますけど、でも途中でまたダウンしないという保障はなかったりして…(汗)

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陋 この春は姪と甥がそれぞれに就職、進学するので、かなりの物入りになってしまう。本来であれば、弟が養育費を送るところだが、弟も現在は働けないし、それでは孫が可哀想だというので、両親はせっせと年金をやりくりして、毎月のお小遣いや、誕生日のプレゼントやら、お祝い金などを送っている。この4年間でトータルで送ったのは何百万単位になる。おかげで「今死んでもお葬式の費用もないよ」っていうくらいに家庭内では節約の日々だったりするのだが。

そのことについて、母がふと漏らしたら、伯父に「そんなにしても孫は面倒なんか見てくれない」と言われたらしい。もとより、見返りを期待などしていない、と母は憤慨している。ただもう、ひたすらに孫が可愛いし、可哀想だし、という一心なんだよね。

母はもともと大変に人が良くて、他人のためにも懸命になるところがある。伯母が入院した時なども、毎日お弁当を持って病院に通っていた。それは伯母が亡くなるまで、50日あまり続いた。

でもそのことも見返りを求めていたわけではなくて、まったく一銭ももらっていない。

シュガーカット入りのおせち料理だって、作って届けて、それでもお金なんかもらわないし(材料費すら)。…そういう行為なんだけど、それを見返りを期待する打算的なものだと誤解されるのが頭に来るらしい。

孫に使うお金は将来の生き金になるんだからいいんじゃない、と思うんだけど。このあいだの村上和雄さんの本にもあったけど、「天に貯金する」ってことだと思えばいいんじゃないのかな。母にはそう言っている。

人間が生きるうえでは他者にまったく依存しないですむことなんてない。常に誰かの好意に支えられているんだと思っても間違いはないと思う。金銭に絡まなくても、無償の好意の方がきっと多いと思う。それに対して、自分なりの出来る形で返していければいいかなあ、と思うのだ。

持ちつもたれつ。打算ではなくて、純粋に好意のみでそれができればいうことはないんだよね。ついつい形あるものに捕われてしまうのが人間なんだけど…。まだまだ私も修行が必要だなあ、と改めて思う。

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