お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

祈りと言挙げと

このあいだ、某ブログで読んだ記事。「やる気が出ない、というのもひとつのメッセージのようなもので、無理にやらなくてもいいことだと解釈している」というような主旨の文章があった。それで無理矢理に気持ちに逆らってやろうとしたら、今度は怪我や病気で本当に動けなくなる状態にされて強引に休養を余儀なくされる、とも。

なるほどなあ、と思いました。これも一種のメッセージなのかもしれないなあ、と。

だとすれば現在の私、他のことは何も出来ないのに、創作に限定してのみそれが出来るっていうのは「今はそれをやりなさい」という何ものかのメッセージなのかなあ、とも思いました。で、今日の日記で自分の出会いについて考えてみて、本当にこの人生ン十年、ずっと特定の人物やものごとに執着しているというのもやはり意味があるのかなあ、とも思えたり。

私の場合はなぜかヤマトタケルなんですけど、この人生って彼の語り部になるべく生まれてきたのかもしれないなあ、とよく最近思ったりします。自分の人生とほとんど同じくらいの長いつきあいをしてきても、飽きたり愛が醒めたりすることってまったくなくて、むしろ年々その愛情が深まっていくように感じます。

ほとんど巫女だなあ…(笑)もしかしたら、いつかの人生で私は彼の巫女だったのかもしれないなあ。

だからきっとすべてを語り終えたら、今生はおしまいになるのかもしれません。でもそれってすごい本望だなあ。

でも何も語り終えないままに終わってしまったら、きっとすごく悔しいよね。残りの年月を考えるとあまり猶予はないような気がします。せめて後悔しなくてすむように、行ける所までは行きたいものだなあ、と改めて願ってしまいました。

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