左手の人指し指の先にあかぎれが出来た。絆創膏を貼ると不自由になるので、昨夜まで我慢していたけれど、痛いし、治らないし、でとうとう貼ったら、まあ、キーボードの操作がなかなか不自由でタイプミスばかりが増える。ちょっとしたことなんだけど、指先の怪我などは影響が大きいのね(汗)
今朝からぼちぼちお絵描き中。昨日描いていたラフの線画までが昨日のうちに出来たので、今日はPCに取り込んでの作業を始めた。消しゴム版画などはお絵描きの合間の余暇の利用になるから、あんまり進まないかも…(汗)常に第一で優先するのはお絵描きだしね。まあ、いずれにしてもぼちぼちですね。
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昨日、新興宗教の話をしたから、というわけでもないけれど、今日はちょっとオカルト的な話題にしようかな。
でも本来私はあまり霊感がない。もっと若い頃は見えないまでも気配を感じたりすることはちょくちょくあったけど。
見知らぬ人にいきなり枕元に立たれても困るのだ。私にはなにも出来ないわけだから。にもかかわらず、たまに枕元に立つ人がいたりしたんだなあ。
見えないんだけど、気配だけで相手の性別などもわかってしまう。かえって目を閉じていた方がよくわかったりしてね(汗)「すみませんが、私はあなたに対してなにもしてあげることは出来ないので、お帰りください」と心で伝えると、相手も諦めてすーっと消えてくれたりした。
人間、年を取るにつれて、こういう感覚も鈍感になってしまうらしく、最近では気配を感じることもあまりない。どのみち何も出来ないんだから、その方が有り難いけど。
ただここ1、2年くらい前には家の中にちょっとした気配を感じて落ち着かなかったことがある。夜中にトイレに行くと、誰か外で待っている気配がする。父かな?と思って出てみても誰もいない。これは同時期に母も体験している。母は仏壇から白い影が出てくるのを目撃していたりもする。
仏壇から白い影、というのはまだうちにいた頃に姪っ子も何度か見ている。この子は小さい時からいささか見えるタイプだったようだ。2、3歳の頃に帰省してお墓参りに行くと「わー、人がいっぱいいるねえ」と言っていたそうだ。もちろん、その時には他に誰もいない。
小さい時は夜中のトイレが怖くて、常に誰かを起こしてついてこさせたりもしていたし。
まあ、いずれにしても、ほんのちょっぴりと影のようなものを見るだけだ。そういう存在に対して、なにかが出来るわけでもないので、いっそのことなにも見えない、感じないのが一番いいのかもしれないけれどもね。
ただ、霊的な世界の存在を頭から否定しようとは思わなくて、むしろ信じているに近いかな、とは思う。わりと身近なところに霊的な体験をした人も多いし。
お産の時に臨死体験をした人もいるし、危篤状態で病院にいる人の姿を見かけた人もいる。私の従姉などは高熱で寝込んでいた時に夢に出てきた人が「かわいそうに」と熱を下げてくれたそうだ。で、夢の中のその人はきちんと名前を告げたので、ご先祖の過去帳を調べてみたら、その人は過去にしっかりと実在していたとか。そういうこともあるし。
世界が多重構造になっていて、どこか近いけれど別の次元に肉体を持たない人の世界が存在してもいいな、と思うし。世界にも奥行きがある方がきっと面白いよね。
「遠野物語」などが生まれている民族的な精神世界を大切にしたいと思うのだ。