弟がやる気出している?? (^_^;)
年末だけど頭痛がします。
弟がクワイの皮を剥いて煮ています。よほど食べたいらしいです。父と弟はなぜかクワイが好きでした。母と二人で終い弘法まで買い出しに行ったなあ。中国産の大きくて立派なクワイが売られてたんですよね。
私にはお煮しめの中身というと、レンコンとタケノコと子芋と金時ニンジンくらいしか食べないので、くわいはいつも興味の外…というか、食べても好きじゃないなあ、と思っていました。まあ、上手く出来たら仏壇に2、3個供えてあげて (^_^;)
今夜は年越し蕎麦も作ってくれるらしいので、私ももうちょっとしたらお昼のおかず1品は作ったけど、あとはコロッケかなにかで手抜きしようとしか考えてません (^_^;)
明日のお雑煮も作るつもりらしいので、それも任せたよ (^_^;)
故人とのコンタクト
これって私には全然スピリチュアルな話ではないのですが、常日ごろお絵描きしていると、意識のどこかが現実でないどこかにアクセスしているなあ、と実感することが多くて、その延長線上で感じていることです。
私にとってはまったく非現実的ではないんですが、人によってはそう感じる方もあるかもしれません。遠くにいる友人や家族を思うのと同じこと。ただ故人には肉体がないだけね (^_^;)
故人とコンタクトするのは難しくないです。特に霊感も必要ないと思います。プロの霊能者に頼らなくても生前のその人を良く知る人には自然と相手の反応が見えてくることが多いんです。自分の言葉や行動にどう反応してくれるか、それも自然と見えてくるようになります。
なぜかというと、特に親しい家族や友人などどとは、生前の反応が明らかに想起されるケースが多いからです。こういえばどういう答えが返ってくるかとか、そういうのって親しい相手ほど想像つきますよね。
心配するのがわかるから、なるべく心配かけたくないように努力する。でも必要な時にはあちらからさりげなくサポートしてくれたりします。
それらは愛をもとにして、思うことそのものが供養にもなっていること。 生前の延長にあります。
思い出すと自然と涙は出ますが、それは喪失感ゆえの悲しみではないですね。心の一段高い場所に両親がいて、肉体こそないけど「すぐそこにいる」実感が強いです。
だからこそ心配かけちゃいけない。必要な時は手助けしてくれるから。だからとにかく出来ることは頑張ってみる。
不思議なんですが、半分くらい肉体が生きながらあっちの世界にも同時存在してる感じ。
レイヤーだからな。意識的にここ三次元と同時に別次元にまたがって同時に存在しててもおかしくないや、と私は思うのですが。
この類いの話は両親の生前から、よくしていたんですよね。思えば不思議な家庭でしたけど、特定の宗教に走ることもなく、霊的会話はしていたという…。だからこういう話も日常の延長線上に当たり前に存在しています。
こういう話がツーカーで出来るあなたたちの娘に生まれて幸せでした。本当にどうもありがとう(^^)
私がバーンアウトはしたけれど、グリーフからの立ち直りが結構早かったのもそういう理由でした。宗教じゃなくても理解可能なことはあると思ってるし、それは芸術などとも深く結びついています。
これは私の個人的な感性なので、他の人に押し付けるつもりはさらさらありません。でもこれが介護や看取りやグリーフの時を悲嘆に終わらせないために大変に役立ったのは事実です。
今年もお世話になりました。どうぞ来年もよろしくお願い致します (^_^)