今日は短めです、買い物にも行くので。
今回行きたいところに行けて母も満足したようですが、
また誘って欲しいな。
お金に余裕と私の気力体力に余裕があるときに(^^)
また一緒に行こうね。
夏以外にね(^_^;)
父と母が亡くなったのは9年くらいのタイムラグがあります。
だから父の方が先に行くべきところに
行っちゃったのかもしれませんね。
なんとなくそういう気がします(^_^;)
まあ、いずれまた出会うとは思うんだけど。
私のこの死生観がいつ、どこから来たか不思議な気がします。
もともと知っていたことを少しずつ思い出している感じ。
でも肉体の生が終わるとすべてが終わると感じなくて。
これが自分にはものすごい自然なんですよね。
だから普通に故人の存在も身近に感じます。
それでこのことが現実の試練を乗り越えるために
どれだけの力になっているか。
私にはそういう支えがとても大切です(^^)
胸が熱くなる、きっとたぶん「愛」だと信じてる。
肉体がなくなっても好きな人との愛情の交流は残るんですね。
これを知ってしまうと希死念慮というのも普通に「症状」だと思えるし
そこを抜けるために必要なことや視野の広さもわかるし、
誰かに声をかける必要性もわかるし。
追い詰められ感がすごくましになります。
眼に見えない存在と、現実の友人知人が本当にどれだけ力を
くれているのかもよくわかります。
これに気づけたことはとても自然で幸せだと思います(^^)
メンタルを鍛えるために病気になったのかもしれない(^_^;)
これも自分の場合は当たり前にそう思います。
いま郵便取りに行ったらエントランスでちいさな男の子(3、4歳?)が「のっていい?」と聞くので「どうぞ(^^)」と言ったけど、きみひとりかい?大丈夫?と無事上に着くまでずっとエレベーターの行方を眺めてた。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年11月7日
可愛かった(^_^;)子供に弱いおばちゃんです(^_^;)
おかげでいつもなんとなくふんわりしあわせな気分です(^_^;)
身体がきつくてもね。
明日は受診日、また4時起き。火曜日は内科もだなあ。