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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

人のために動くと自分が変わるという幸せ

 

金曜日はいろいろ忙しいので、予約投稿しておきますね。多分午後3時くらいまではばたばたしてそうな気がしますし…(^_^;)

 


イメージが降ってきて嬉しい (^_^)


あ、そうだ。昨日の午後は訪問マッサージの日だったんですが、マッサージで血行が良くなったのか(脳も含めて)、もしくは雑談が気晴らしになったのかもしれませんが(訪問看護や訪問マッサージってカウンセリングのような部分もあると思ってますし…)「気持ちいいなあ…」と思っていたら、お絵描きの神様が降りてきてくれました!嬉しい(^^)

 

慌てずにぼちぼち形にしていこうと思っております。

 

マッサージの先生の患者さんたちも軒並み不調だったみたいで、やはり天候とか不順だとみなさん影響が大きいんだなあ、と思いました。晴天が続いてくれればみなさんきっとましになると思いますね。もちろん私も(^_^;)

 

明治生まれの祖母が「木の芽どきは気ぃつけや」と言っていたのを思い出しました。

 

 

 

眼の前にあることを大切にしながら生きる


この話は以前にもしたことがあるんですが、ほとんどの方は忘れていらっしゃると期待して(?)もう一度 (^_^;)

 

実は昨日かこさんの記事を読んでいて思い出したことでもあります。これね。

 

 

kozikokozirou.hatenablog.com

 

かこさんとはいつもなんとなく励まし合っているような気がするんですが…。全然違う病気だし、生活環境も違うのに、でもどこかに共通点があると感じるのは「家族を大切にしていること」と「日々の生活を大切にしていること」ではないかと思うんですね (^_^;) 基本的に前向きなのと…。

 

 

 

で、私が思い出したのは2013年10月。最初に母が倒れて入院した時のことです。

 

それ以前から何ヶ月も私はいわゆる「五十肩」というものの痛みに悩まされていました。左腕がとにかく痛くて捻れない。後ろでエプロンの紐を結ぶなんてとても無理。あんまり上に上がらないし、力も入らない。だから非常に困っていたんですよね〜。

 

時間が経てば治るのか?と思って、特に治療はしていませんでしたが。(湿布とか塗り薬とか嫌いなんです〜)

 

母の病室で、母を見ながら、「これはもう完璧に介護が必要になるなあ…。私一人しかいない。…困るけど…けど…、これはもうやるっきゃないでしょ」と覚悟を決めた途端に、瞬時に五十肩の痛みが綺麗に無くなったんですね。

 

後ろにひねっても大丈夫。力も入るし、腕も上がる。キツネにつままれたような気がしました。

 

頑張ろう!と決意した途端に気合いが入ったみたいな感じですね。

 

身体というのはそういうものなのかもしれない、とふと思いました。もしも神様がいると仮定したら「そうか、頑張る覚悟が出来たか。そんなら治しちゃろ (^_^)」とやってくれたみたいな…実感としてはそういう感じでした。

 

f:id:haruusagi_kyo:20170413193435p:plain ひさしぶりのいらすとやさん (^_^)

 

↓ 個人的にはこっちもウケました (^_^;)

 

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巡り巡る幸せ感


きっとこれが「自分のため」だと思っていたらきっと駄目だったと思います。家族のため、介護のためだったから、そういう力が出せたんじゃないかなあ、と。

 

以後も気をつけて見ていたら、私の場合は「自分のため」ではそれが働かないのもなんとなくわかりました。「家族のため」とか「○○さんのため」とか、そういう場合でないと発揮出来ない力があるようです。利他じゃないと駄目なんだよね。

 

でも人のために何か出来た時の嬉しさとか幸福感とかは、巡りめぐって結局は自分のもとに戻って来るんですけど… (^_^;) いや、でもこういうことが確認出来ただけでも痛みを感じたり、病気になったり、そこから気付けたことって本当に大きいと感じています。

 

人生に無駄な経験って本当にひとつもないですね (^_^)

 

 

 

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