人間の心と身体には思った以上に密接な関係があるようだと思いますが、私の場合、わりと自分でも危機対応に備えて身体が変化する瞬間、っていうのを体験してるんですよね。
もともと子供時代は人ごみに行くだけで翌日に自家中毒で意識不明になるような感じでしたから、外界に反応する過敏なところはあるかもしれません。
いまでも季節の変わり目でずっと微熱が続いてるし。(そのかわり風邪を引きにくい利点もありますが (^_^;))
ここ10年あまり…11〜12年かな?
家族が次々に病気になって、介護することになって、病状が急変したり発作が起きたりで、救急車に付き添いで乗ること十数回。(自分が乗ったのは去年の交通事故の時だけです)
ご存じかもしれませんが、付き添いっていうのも結構大変なんですよね。詳細説明とか、入院の手続きとかもろもろあって。全然ぼーっとしていられません。心配ももちろんありますし。
そういう緊迫感のある状況を不本意ながら十数回体験していたら…。
それまで30年以上、ずっと悩まされてきたパニック障害がいつのまにか完治してました。驚きです。
「なにがなんでも私がやらないといけない」ということが続いていたので、それを懸命にこなしていくのが(自分のことを考えるのもあとまわしで)一種の認知行動療法みたいになったんでしょうか。
でも完治したのは頑張ったご褒美みたいでとても嬉しいです (^_^)
救急車にそれだけ乗りたくはないものですが… (^_^;)
で、2年前の10月。母が倒れた病室で、「これは完璧に介護が必要になるな。困ったなあ」と頭を抱えていました。
その時は2年ほど前から、左腕の五十肩らしき痛みに悩まされていたからですね。腕はもちろん上がらないし、後ろに回してエプロンの紐を結ぶことも出来ないし、当時はかなり苦労をしていたんです。
その腕で介護なんて可能だろうか?と母の病室で悩んでおりました。
その時ですね、自分でも信じられないことが起きました。
突然に腕の痛みが消失したんですね。わずか数秒のことでした。
さっきまであんなに痛かったのに…。狐につままれたような変化でした。
でも、もう痛くない。介護も出来る、と思いました。
あとでお聞きすると、非常時対応で左手の先まで一気に「気が通ったのでは?」ということでしたが、こういう医学的ではない説明がなんとなくはまる体験が時々ありますね。不思議です。
まあ、私は結果オーライ、と思う方なので、ありがたくその状況を感受しております。
実際に家族のために必要な腕でしたから…。
誰かのために頑張ろうと(主に家族ですが)すると「よし、頑張れ」という力を神様が与えてくれているような気もします。「自分のため」じゃないんですよね。「自分以外の人のため」に使う力は貸してもらえそうな気がします… (^_^)