双極性障害が原因かもしれませんが…
昨日、絵が描けない、と悩んでいましたが、その状況は今日も改善されていません。
天啓のようなイメージが舞い降りてきてくれないと本当に納得できるものにならない、というのがあって、私はそういうところだけはなんだか普通にジャンルを問わない「画家」みたいなんですよ。依頼があれば器用にこなせる商業イラストレーター(これもすごい才能だと思いますが)にはとても及ばないです。
で、ふと思い出したのが、昔読んだ画家・風間完さんの著作の内容でした。
今、手元に本がないから(家の中にあるのは確かだけど探し出せないいつものパターンです)自分で確認出来ませんが、こちらに書かれているので。ちょっと引用させていただきます。
『エンピツ画のすすめ』を読む
https://www.dodoshiryo-hokkaido.info/tedium/2012/06/10/kan_kazama01.htm
・無理な姿勢から良い仕事は生まれない。
・技量と行動の伴わない自惚れはみっともない。
・情熱の持続は、すぐ行動に移す習慣がもたらす。
・たとえ拙くてもいじけずに、素直で品のよいものを。
・自分の周囲を、表面だけでなく注意深く見る態度を身につける。
・自由でのびやかであることは、気品につながる。
・良い絵は、技術が底に秘められている。饒舌な絵は感心しない。
・表面は粗っぽく見えても、内面に繊細な神経を感じさせる絵がいい。
・絵心とは、自然に対して謙虚な心である。
・この世のあらゆる場面は、すべて舞台だ。
・深い知識を身につけるほど、自分の無知がわかる。
絵を描く仕事も、人を愛するということもこつこつと長く続けられなければ本当のものは生まれてこないのです。長く続けられるコンディションを日常生活の中で心がけるべきだと考えます。当り前の姿勢、当り前の日常生活の中に一番ものすごい力が秘められているのです。
ホントだね〜。
個人的に最も印象に残ったのは「画品」という言葉でした。
「画品」=絵の気品、と思っていいのかな? 非常に大切なものなんだけど、意図して身につけられるものではない、ということでした。
品のある絵、ということは「見る人に不快感を与えない絵」ということじゃないかなあ、と思っています。それって技術よりももっと深いところから来るような気がするし…。たとえば裸婦であっても上品な名画はたくさんあるわけで、実際に描けるかどうかは別としても忘れてはいけないことだと思いました。
それって要するに内部から滲み出すもので、気品のある作品を描くには、自分の品性が卑しかったら駄目ですよね。「自由でのびやかであることは気品につながる」とありますが、そういうことも含めて、とてもいい個人的指針になっています。
品のある絵が描けるような人間であること、っていうか、いかに生きるべきか?ということも問いかけられていると思っています。
pixivの改善
そういえばpixivにはいままで見た人が点数をつける制度があったんですが(10点満点で)、気が付いたら点数じゃなくて「いいね」をつければいいように変わっていました。その方がいいと思うよ…。なんか、点数をつけるのに明確な基準がないから、私は10点じゃなければいっそ評価は入れない方針で通してたもの。
気軽に「いいね」できるようになったのはいいことだと思います。
なにげなく見たら、素材の閲覧数が1万越えてたのとかあって、ちょっと驚きました(^_^;)
pixivやTINAMIやブログがあるから、あえて個人のサイトを作らなくても作品発表の場はたくさんあって、それだけでも不自由はしないわけですが…。
…にも関わらず、私が個人のギャラリーサイトを17年もやっているのは、やはりページ丸ごと、サイトの印象丸ごとをデザインする楽しみがあるからかなあ、と思います。
新しい技術は使えないけど、なんとなく本を読むように展示したいという思いがあって、時には「黒背景」が「間(ま)」であったりするわけですね。ほとんど自己満足のようなものですが… (^_^;)
pixivなどのSNSを介すると、より多くの人と出会えるわけですが、SNSはあくまでも入り口で、ホームベースは自分のサイトだと思っております。
たとえお客様の人数が少なくなってもやめるつもりはありません (^_^;)
SNSどまりの方が多いから、実際に少なくなってるんですけどね… (^_^;)