お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

私にはそんなに持続するエネルギーがありません

 

自分も病気だけど、家族の介護や世話はずっと恒常的にしなくてはいけなくて、

そういう生活をここ十数年続けています。

まあ、おかげでパニック障害が治ったとか、そういう利点もありました。

 

実際に緊急事態にはなんとか対応が出来てるんですが、もともと

自分にエネルギーがないもので、緊急時が落ち着くと、どーっと反動で

疲れが出ます。

 

昨夜もまた横になると同時に眠ってしまって、一旦寝たらなかなか目が

醒めない感じになっていました。

ご飯作るのもしんどいので、お弁当頼むしかないなあ、と思います。

 

あとはきっとまた寝ると思う。おそらく寝る。

毎回本を床に落すのも困ったものですが、昨夜はKindleも落しかけました。

 

肉体的な疲労よりも精神疲労の方が回復し辛いんだと思います。

 

もういいかあ…。欲張っても無理なものは無理だから、12日に母の

胃ろうの交換に立ちあえたらそれでいいとしよう。

 

…すみません。なので今日はほぼお休みです (^_^;)

 

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20170809084645j:plain

 

 

 なにかで一気に充電出来たらいいのになあ… (ーー;)

 

 

 

台風はしんどさを残して行った (ーー;)

 

HSPの生き辛さについて

 

昨日の補足です。他の方ともご意見伺っていたんですが、ただ単に普通の人よりも敏感だというだけではすなわち「生き辛い」とは感じないだろうな、というのが私も正直な意見で、それだけじゃない要素が自覚のないところに隠れているんじゃないか?とも考えています。

 

疲れることは疲れるけど、それだけで生き辛いとまではなかなか感じないよね。…だから自覚のないもの、なんらかの発達障害とか精神疾患とか、そういうものが本当の原因である気がするので、思い当たられる人はそちらの対処もされた方がいいんじゃないかな、と思います。

 

生まれつき他の人より敏感でも、成長するにつれて自分なりの対処法がわかってくるし、無意識にしろそれを実行していたりしますので…。

 

「隠れているかもしれないもの」に気付くのも大事なことかもしれませんね。

 

 

 

加齢とともに不具合も増える (ーー;)

 


明日から休診になるので、今日こそ耳鼻科に行きたいけど、いろいろ身体に不具合が出ているので、行けるかどうか様子見中です。

 

ここ数日昼夜を問わず寝倒した気もするけど、昨日からおそらくむくみが強いせいで足の裏が痛いです。ちゃんと歩ける自信がありません。こういう時はいくらか手も握りにくいので、皮膚の下が水を含んだスポンジみたいになっているような想像をしてしまいます (^_^;) 湿度が高いせいかあ?? なんでもいいけど、台風と全然無関係じゃないかもしれません。

 

在宅介護中は場所がなくて布団を敷いて寝ていましたが、その上げ下ろしが辛くなって、リフォーム後はベッドと椅子の生活になりました。おかげで腰痛はほぼなくなりましたが、今度は別のところで堪える場所が出てきます。

 

昨日も10分ほど床に座り込んで針仕事をしていたら、すぐに立てない状態になっていて、股関節にやっぱり不具合が出ているなあ、と。これは日頃からマッサージの先生に指摘されています。仰向けに寝ていても足先が開く角度が左右で違うんですよね。

 

股関節を緩める体操も、横になるとすぐに眠ってしまうために出来ていません。病院に行くほどじゃないけど、微妙な不具合は加齢と共に増えていきますよね〜。まあ、家電でもPCでもそうだから仕方がないですが。(うちも家電は壊れない限り新しいのは買わない主義です)

 

通勤とか買物とか家事とか、日頃は普通にやっていることが意外と身体のためにはいいことなんだなあ、と思います。それが出来ない現状なので、やっぱり地味に身体に堪えてくる…。困りますね。

 

 


7割くらい映像で考えてそうな気がする

 


昨日、ちょっと興味を惹かれて、イマジナリー・コンパニオン(イマジナリー・フレンド)に関するアンケートに答えていて、気がついたことがあります。

 

アンケートはこれで、どういう研究結果がまとまるか、非常に興味深いのですが…。(結果を知りたい)

 

「空想の友だち」に関する研究

https://qtrial2014.az1.qualtrics.com/jfe/form/SV_2gCa2yR5aUat1LD

 

それというのは、私の中に存在するICに対する認識は文章ではなくて、どこまでも映像だなあ、というのに気がついたからなんですね。いや、だからどうこというのではありませんが…。意識をそちらに向ける時には、いつも映像として世界を捉えているんだなあ、というのがよくわかります。

 

サヴァン症候群の人のような細部まで忠実に再現出来る記憶や能力はありませんが、私にとって「意識を向ける」というのは五感のすべてが働いている世界だなあ、と気がついたのでした。

 

絵を描く時には、それがさらにはっきりしたイメージとして見えないと困りますが…。デザインの仕事の時もそうですね。頭の中にあるイメージがはっきりしないと形にすることは不可能です。

 

一番古い、生後7ヶ月の記憶が五感で残っているのもそうかもしれませんね。そののちも忘れ難い記憶が増えるほどに頭の中のICの住む世界も現実身を帯びてリアルになってきます。そうじゃないと自分以外の人に告げるすべもありませんしね…。

 

動いているキャラクターというか、ICは私にとっては漫画のシーンで浮かぶか、立体的に五感で浮かぶか、どちらにしても大差がない気がします。

 

 

ブログなど文章を書く時はやっぱり文章で考えているなあ、という自覚もあります。

 

ごくたまに小説もどきを書く時は頭の中の映像を文章で説明するのが結構面倒に感じてしまって、若干説明不足っぽい文章になるのは自分でもわかります。

 

でもブログを書いていても会話体はすごく自然に出てくるのですよね。映像と共に会話も含めて記憶しているのかもしれません。

 

 

 


…今日もなんだか通院無理っぽいかな…。一度で治ればいいけど通うの辛いな。

 

 

なかなかちゃんとしたお絵描きが出来ないので、こういう落書きしてみたり…。

 

f:id:haruusagi_kyo:20170808082944j:plain

 

f:id:haruusagi_kyo:20170808083002j:plain

 

 

 

 

あんまり困っていないHSPな私について

 

脳と身体が睡眠を欲している

 

家事と雑用と仕事の合間に途切れ途切れで寝ています。耳鼻科に行く元気があればいいなあ、と思うんですが…。でも午後はきっとまた寝ると思う。脳と身体がそれを欲しているみたいです。薬もなにも飲んでいないのに…。


ここ2、3年「HSP」という概念が徐々に知られつつあるようです。

 

ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia


で、私も確かにこれに当てはまるんですね。5人に一人はいると言われるから珍しいことではありませんが。

 

いろいろ本を読んでいると確かに自分に当てはまるのに、どこかしっくりしないところがあって…。それってなんだろうな??と考えていたら、たまたまSNSでリンクされていたYukiさんの過去記事の中にヒントがありました。

 

 

目ざといのは確かですが役に立ちます

 

susumu-akashi.com

 

 

読み返してから、どうして本の内容にしっくりこないのか?と考えたら、もしかしたら私はこの特質でもさほど困っていないのではないだろうか?というのに気付いたのですね。

 

ものすごく疲れやすいし、しんどいけど、それをマイナス以上に有効に生かしてこれたんじゃないかな?と思ったのでした。

 

まあ、お絵描き、創作は言うに及ばず。父の在宅介護の時も、父は脳梗塞で結果的に単語いくつかくらいしか話せなくなっていましたが、それでも意志の疎通に困った記憶がないのは、結構気持ちが読めていたからじゃないかと思います。意志が通じなくて動けなければ、父ももっと精神的に堪えたんじゃないかと思いますし…。

 

家族の病気に関わるわずかな異変をいつも真っ先に察知するのは私なんですよ。いまだにね。(だから十数回救急車を呼ぶ羽目になる)ほんのわずかな物音や指先の動きとかそういうものから…。

 

それってやっぱりこの「差次感受性」じゃないかと思うんですね。


これは自分の自身の脳についても身体についても当てはまります。だからこのあいだ希死念慮を切り離す試みをやってみたらできてしまった感じで…(^_^;) 自分でもこんなに上手くいくとは思いませんでしたけど…。意外に冷静に観察出来るものだなあ、と思いました。

 

もしかしたらこういうのがHSPの特性なのかもしれませんね。

 

 


脳の書き換えはやってそうです

 

で、私は悪い思い出はさっさと忘れる方が楽なので、記憶の反芻をしない主義です。いい思い出だけは心置きなく反芻して記憶に焼きつけます。

 

嫌なことを忘れるのは、反省してなんとかなることならともかく、考えても自分の責任じゃなくて、過去のことでいまさらどうしようもないことに時間を使いたくないからです。

 

否定するわけじゃなくて、あの嫌な出来事から自分はこういうことを学べたからもう卒業していいんだ、って思って手放すんですね。自分の中でカタをつけるというのかな?そういう感じ。

 

なんだか最近どうでもいいと判断したことはどんどん忘れていく傾向にあります。それでも忘れないことはよほど感情的にも許せないことかなあ、と思っていますが…。

 

こういうのも意図的な脳の書き換えじゃないかと思っています。

 

マインドフルネスとかアファメーションとかいろいろ聞くけど、私はこれがやっぱり一番いいみたいですね。瞑想の代わりになっているのはお絵描きの一連の作業ですし…。道に迷わず安全な集中です。

 

 

誰にでもできるわけじゃなさそうなのが残念


だからHSPに関しても、「役立ったよかったこと」しか記憶に残ってないんですよね。なので「疲れやすくて困る」事実はあるけど、それ以上にプラス面がたくさんあるから、マイナス面はそれとして、プラス面を見てよかったなあ、と思うから…。「HSPで困っています」という実感がいまいちピンとこなかったりするのでした。

 

これも楽観主義かもしれません。敏感な自分を嫌いだったことは一度もないです(^_^;) ありがたいことだと思います。繊細なのにある意味図太いみたいな感じ?…でもこれって生きやすいのは確かです。

 

だから必ずしも「HSP=生きづらい」なんて思わなくてもいいでしょうね。感じ方と考え方で結構なんとかなるものだなあ、と私は思っています。

 

HSPだけじゃなくて、脳に関わるいろんなことに応用可能な気がするんですけど、これってやっぱりHSPじゃないと無理なのかなあ…?

 

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20170806190907j:plain

 

 

 

 

 

保存

保存

Copyright (C) 2001-2018,Haruusagi All rights reserved.