お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

なんだか本調子ではないような…

 

なにか頑張ると必ずあとで反動が来るのがうっとおしいわ〜 (*-д-)-з

 

今日こそ母のところに行こうと思ったけど、頭痛がするし、夜中に突然こむら返りになって、まだふくら脛がなんとなく痛むので、取りやめました。そういえば台風が来てるんだね。そのせいで頭が痛いのかも…。

 

(どのみち12日は胃ろうの交換でどうしても行かないといけません)

 

はっきりと意識に載せていなくても、身体はアンテナを働かせて、そういう情報や疲労度を感知して症状として知らせてくれるので、まあ、ありがたいと言えばありがたいですね。

 

精神的にはめげてなくても、ものすごく睡眠を要求されたり、痛いところが出来たりする。ホントに敏感なアンテナだと思います。

 

意識に昇っていなくても、身体がおかしい、と言う時は精神的にもダメージを被ってたりするので、その時はくれぐれも、みなさん、ご無理なさいませんように。

 

 

書きたいことはいろいろありますが、頭痛のせいで気力が湧いてきません。
引き続き、今日は休養したいと思います。

 

本当に描きたい絵だけをゆっくり描ける時間と気力と集中力が欲しいなあ、と願っております (^_^;)

 

 

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自分が選んだけど、自分を責めなくてもいいこと

 

予約投稿しておいて、行けるなら母のところに行こうかな、と考えています。

 


思い出はプライスレス

 

昨日、夕食を食べながら、タウン情報誌を眺めていたら家計簿診断のコーナーがありまして。そういえばこれ母がよく眺めていたな、と思いつつ見て見たら、昨日のご相談は88歳の女性でした。88歳かあ…。父が生きていたら同じだなあ、と思ったり。

 

で、その方、年金は月16万だそうです。一人暮らし。貯金が1000万で、老人ホームに入居したら売却可能な自宅マンションが3000万。

 

あの年代の方は本当に無駄遣いが出来ない世代だから、地味に地道にコツコツ貯めてこられたんだと思います。父も本当にものを大事にする人で、死後も仕事に必要だったスーツ以外はほとんど処分する必要がありませんでした。つつましく生活する人でした。

 

だから、この88歳の女性にも、身体が自由に動けるうちに楽しんでいいもの見て、美味しいもの食べて豊かな気持ちになっておいて欲しいなあ、と思いました。老人ホームに必要な費用は充分にあると思うな、マンション売ればなおさらに。

 

見知らぬ人のなにを案じているのやら?と自分でもおかしくなりましたが、ファイナンシャルプランナーさんのアドバイスも同じ感じでしたよ。死ぬ時にモノは持って行けないけど、思い出は持っていけるから。そういう記憶って大事ですよね。

 

(1000万&3000万あったら、すごく気が楽だろうな、と思いつつ、私にはお金を増やす才能もありませんね)

 

 

 

時を越える美と瞬間の美


美というものには時を越えるものと、その「瞬間だけ」の美とがあると思っています。前者は主に美術品などですが、後者は人間関係のものが多いと思います。

 

時は止めることが出来ず、移り行き、人は徐々に老いてゆきます。

 

若さと才能が見事な花になって開く「時分の花の美」。若いアスリートたちや、アイドルや俳優&女優さんやそういう人かな。学校の中でもそういう「花」になる人っていると思うな。若いということはそれだけで美しいので…。

 

小児科勤務の経験がある私ですが、「はい、あーんしてね」と後ろから子供たちのほっぺを固定していると、そのつるつるのお肌にかなうわかないじゃん!といつも思ってました。この世に生まれてまだ数年のお肌の気持ちよさと言ったら… (^_^;)(あぶないな)

 

そういうのも美、ですけど、大人の人が咲かせる瞬間の美、名演、名舞台、名演奏、熱唱などなど、その瞬間にしか生まれなくて、あっとうまに消えていくけど、それを見た人の心の中にはいつまでも焼き付いている美、というやつですね。

 

自分も歳が歳なので、このごろそれがとても愛おしく感じます。人生でそういうものに出会う機会が多く持てた人は幸せだと思います。

 


ただ、これも自分が不幸だと感じていたりすると、出会っても気付かないことがあって、勿体ない限りなんですよね。

 

 

 

なんで自分が…とは思わないなあ…


そういえば私は多分「なんで自分がこんな目に合わなければいけないんだ」ということを思ったことがないなあ…と。記憶にないからおそらく間違いじゃないと思います。

 

で、考えてみた。よく人は自分の不幸や不運を嘆くけど、その気持ちの中には「自分がこうなりたくてなったわけではないのに…」というのがあるのではないかと思います。

 

それは多分なにもかもを自分で決めてこれなかったことの裏返しとしてそう感じるのではないのかな?と思う次第です。「こうなってしまったのは誰かのせい」と思う方がきっと楽なんだろうな。

 

私は記憶にはっきり残る限り、中学生になってからのことはほぼ自分で考えて決めてきたような気がします。中学生以降の人生もあまりにもいろいろあり過ぎて、全然順調じゃなかったけど、もともと自分が他の人とは違う価値観の持ち主だという自覚もあって、お絵描きという北極星みたいな存在があったから、他は全然人並みじゃなくても気にならなかったなあ、と思います。

 

そもそも不幸なわけじゃないから。

まあ、いまだに苦難は終わっていませんが、自分でも意外なほど、平穏に近い気持ちでいます。

 

自分で決めてきたから嘆く意味がないんですよね。理不尽に思えることでも、きっと隠れた遠因が自分の中にあるんだと思います。鏡のように自分に似た人が身近に存在するかもしれませんしね…。

 

普通の人でも「憑き物が落ちた」と感じることってあると思うけど、意図的に分離してこの前落とした死神=希死念慮はあれから帰って来ないので、非常にありがたいですね。厳しい現実にもわりと平常心に近く対応出来る。希死念慮がないだけで、すごく心強いです。希望が抱けるから…。強くなれるし。

 

もしかしたら、いまの私、あんまり怖いものがないかもしれません。そういう気がします。

 

死神を落せる陰陽師とかの想像に走ってしまいそう (^_^;) …医学的に貢献できたらな。

 

 

 

 

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思考と経験はおのずと文章の記録になる

 

気がつけば長編に…?

 

このあいだから、「パニック障害をいかにして克服したかという体験記」みたいなテーマの文章を書いておりました。

 

このテーマの文章はいままでにも書いていますが、それの集大成みたいな感じで書いてみようと思った次第です。以前の記事もいくらかは流用していたりしますが、加筆訂正もどっさりあったので、しまいには自分で読み返してもわけがわからなくなってしまい、第三者の目で見ていただいて、おかしなところがあれば修正します、という大胆なことをお願いしてしまいました(^_^;)


もとの下書きはMaciText Expressで書いていたんですが、これは文章情報がわかりやすく表示出来ます。

 

で、これって何文字くらいあるの?と思って見てみたら、20,000字を越えていたという… (ーー;)

 

20,000字というのは現役の大学生にお聞きしたら、「引用部分も含めた卒論の長さ」なんだそうです。400字詰め原稿用紙に換算して50枚…。微妙に中途半端な長さですね〜。

 

ついでに調べてみたら、それの5倍、10万字前後で大体新書本の長さだそうです。本のわりに意外と短いような気がします。

 

そう、意外に短いんですよね、本の原稿って。

 

そうすると、4年近いブログの記録を300ページくらいの文庫本にしようというのがやっぱり相当無謀だったわけで、やりたいとは思ったけど、「Ready for Takeoff」は、やはり幻のままでよかったのかもしれません。

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp


「本を作る」ことに興味も関心も高い私ですが、今回は具体的な原稿の中身の文章量についてひとつ勉強が出来ました。いや、きっと現実に役立つことはないと思いますが… (^_^;)

 

 

みなさんそうかどうかわかりませんが…

 


でもね、それで思ったんですが、長い間ブログを続けている人は、自分に興味あるテーマ、関心によって、本が出せるくらいの力があるんじゃないかなあ、と…。それだけ文章を書く修業は出来ている気がします。

 

私はデジタルデータの保存性をあんまり信用していないので、そういうまとめみたいな紙の本が気軽に出せるといいなあ、と考えてしまう次第です。

 

イラストだって、デジタルデータですが、それを画集の形にするのって不思議と安心感があります。やはり紙の本は世代を越える可能性があるし…。

 

粘土板の楔文字とか、石碑とか見ていると、そういう情報の長い命を感じますね。和紙に墨で書いた本も、何世代に渡って書き継がれてきて、それが残っているわけだから、受け渡したいと思った人たちの願いも込められているわけで…。そういうことを想像していると非常に楽しいし、ますます紙の本LOVEという気持ちになるわけですね… (^_^;)

 

私、紙の本だけは断捨離したくないです。私が死んだら、私の蔵書はちゃんと読んでくれる人たちがもらってください。それが無理ならまるごと図書館に寄付して欲しいですね。

 

こういう形で受けついでいけるのは人類の財産だもんね (^_^)

 

 

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