脳と身体が睡眠を欲している
家事と雑用と仕事の合間に途切れ途切れで寝ています。耳鼻科に行く元気があればいいなあ、と思うんですが…。でも午後はきっとまた寝ると思う。脳と身体がそれを欲しているみたいです。薬もなにも飲んでいないのに…。
ここ2、3年「HSP」という概念が徐々に知られつつあるようです。
で、私も確かにこれに当てはまるんですね。5人に一人はいると言われるから珍しいことではありませんが。
いろいろ本を読んでいると確かに自分に当てはまるのに、どこかしっくりしないところがあって…。それってなんだろうな??と考えていたら、たまたまSNSでリンクされていたYukiさんの過去記事の中にヒントがありました。
目ざといのは確かですが役に立ちます
読み返してから、どうして本の内容にしっくりこないのか?と考えたら、もしかしたら私はこの特質でもさほど困っていないのではないだろうか?というのに気付いたのですね。
ものすごく疲れやすいし、しんどいけど、それをマイナス以上に有効に生かしてこれたんじゃないかな?と思ったのでした。
まあ、お絵描き、創作は言うに及ばず。父の在宅介護の時も、父は脳梗塞で結果的に単語いくつかくらいしか話せなくなっていましたが、それでも意志の疎通に困った記憶がないのは、結構気持ちが読めていたからじゃないかと思います。意志が通じなくて動けなければ、父ももっと精神的に堪えたんじゃないかと思いますし…。
家族の病気に関わるわずかな異変をいつも真っ先に察知するのは私なんですよ。いまだにね。(だから十数回救急車を呼ぶ羽目になる)ほんのわずかな物音や指先の動きとかそういうものから…。
それってやっぱりこの「差次感受性」じゃないかと思うんですね。
これは自分の自身の脳についても身体についても当てはまります。だからこのあいだ希死念慮を切り離す試みをやってみたらできてしまった感じで…(^_^;) 自分でもこんなに上手くいくとは思いませんでしたけど…。意外に冷静に観察出来るものだなあ、と思いました。
もしかしたらこういうのがHSPの特性なのかもしれませんね。
脳の書き換えはやってそうです
で、私は悪い思い出はさっさと忘れる方が楽なので、記憶の反芻をしない主義です。いい思い出だけは心置きなく反芻して記憶に焼きつけます。
嫌なことを忘れるのは、反省してなんとかなることならともかく、考えても自分の責任じゃなくて、過去のことでいまさらどうしようもないことに時間を使いたくないからです。
否定するわけじゃなくて、あの嫌な出来事から自分はこういうことを学べたからもう卒業していいんだ、って思って手放すんですね。自分の中でカタをつけるというのかな?そういう感じ。
なんだか最近どうでもいいと判断したことはどんどん忘れていく傾向にあります。それでも忘れないことはよほど感情的にも許せないことかなあ、と思っていますが…。
こういうのも意図的な脳の書き換えじゃないかと思っています。
マインドフルネスとかアファメーションとかいろいろ聞くけど、私はこれがやっぱり一番いいみたいですね。瞑想の代わりになっているのはお絵描きの一連の作業ですし…。道に迷わず安全な集中です。
誰にでもできるわけじゃなさそうなのが残念
だからHSPに関しても、「役立ったよかったこと」しか記憶に残ってないんですよね。なので「疲れやすくて困る」事実はあるけど、それ以上にプラス面がたくさんあるから、マイナス面はそれとして、プラス面を見てよかったなあ、と思うから…。「HSPで困っています」という実感がいまいちピンとこなかったりするのでした。
これも楽観主義かもしれません。敏感な自分を嫌いだったことは一度もないです(^_^;) ありがたいことだと思います。繊細なのにある意味図太いみたいな感じ?…でもこれって生きやすいのは確かです。
だから必ずしも「HSP=生きづらい」なんて思わなくてもいいでしょうね。感じ方と考え方で結構なんとかなるものだなあ、と私は思っています。
HSPだけじゃなくて、脳に関わるいろんなことに応用可能な気がするんですけど、これってやっぱりHSPじゃないと無理なのかなあ…?