お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

嵐の前夜なのかなあ?

 

 

わずかな力でも

 

水曜日なので早めに描いておきますね。

 

 

 

私もこれはかなり信じてやっています。諦めるのは好きじゃないです。

 

 

私もたいがいファンタジー要素に満ちた人生を送ってるけど、一番のファンタジーは実在の人との出会いね。あとになってから「実はきつねでした」「天狗でした」とか言われても驚かないです、きっと(^^;)貴重な出会いばかりです(^^)

 

そういえば昨日、どこかの新興宗教の勧誘らしき熟年男性がいらっしゃいましたが、ちょうど訪問看護師さんがいらしてたので、来客を理由にお断りしました。個人的に「宗教は間にあってます」というのが本当なんだけど、それ以上説明が難しい。間にあってるよ、マジで。

 

 



 

嵐の前夜の様相ですね

 

 

私もこの信仰的なものの力の強さは実感しています。闘病においても生きる事そのものに対しても芯があると違うなあ、という感じですね。戦争をしたがる人の心はきっと金輪際理解不能だと思いますが(-_-;)

 

で、この意識はやはり幼少時からありました。

 

私はキリスト教系の幼稚園に行っていたので行事も経験している。でも幼児期に入院中のベッドで話しかけていた神様はどこの宗教の神でもなく、すべてを越える存在だった気がする。そういう概念がどこからきたかわからないけど、独学な好きな私が生涯かけて築いていったものなのかもしれないです。

 

神社の境内で遊んでいたのもそうだけど、やはりどこかの既成の宗教にこだわってなかった。でもメンタルの支えになれるのは独自の神様の存在(宇宙)なんだとはわかっていたし、倫理的な基盤にもなっていた。ホントにこういう意識はどこからきたんでしょうね?不思議。

 

いろいろな宗教の中から共通するものや大事なエッセンスみたいあものを抜きだして 言った感じかも。倫理的な大切なもの、陰徳を積む事。既成に場所にお参りする時は伝統的な作法に従ってはいますけど。

 

自分の人生から意味を見つける事、他人を羨まないこと。比較しないことなど、それも自然と身についていた。そういうものがあると困難な人生でもめげないのは確かだなあ。一種の自己防衛でもあるのかもしれませんね。いまでも既成の宗教はあんまり必要ないです。

 

なんのために生きるかわからない人も多かったし、宮沢賢治もかつて教師として「その意味を捜すのが人生」みたいなことを言ってたなあ。誰もが迷う事悩む事。若いころから私の療養中は切り離せないテーマでした。二十歳前後のあれはあれで有意義な体験でした。人生に無駄なことはひとつもないです。

 

布教とかする気は皆無です。自分が信じていればいいことなので。日ごろはタカオカミノカミさまとウカノミタマノカミさま、ご先祖さんと両親にお祈りしています。祓詞とか般若心経が覚えられないと嘆いていたら」必要ないと言われたんですがいいのかなあ??

 

神様はとことん争いが嫌いらしいです。それを感じるから現在も非常に苦痛です(ノ_・、)

 

戦争というのがいかに人間の都合で欲望に乗っ取ってやられているのかがよくわかります。宗教のせいにされたらいずこの神様も迷惑なことでしょう(-_-;)

 

 

 

 

 
ゆるゆる進行中です。まだデッサンはこれでいいのか悩んでいます。悩んだ時はちょっと時間を空けてみる。
私の線画はポイントだらけです。これもあとから修正しやすいのがあります。

 

 

 

大変だけど楽しいね(^^)

 

 

 

 

 

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