気分が悪くてなかなか眠れず、3時間ほどうとうとして眼が覚めました。これは書いておかないといかんな、と思ったので悔いが残らないように書いておきます。障害者の方にも介護されているご家族にも無縁ではないシビアな話です。残したいから引用の形でリツイートします。
多治見市社保協で、障害者が65歳になると介護保険事業に統一されてしまう問題についての学習会。見えてくる介護保険のコンセプト。「本人の困難より他人に迷惑をかけるかどうか」「健康で文化的な生活と程遠い管理主義」「死ぬまで頑張れ」。歪んだ制度。これでは誰も救われない。もっともっと公助を。
— 「戦い続ける🐦️」ザオラルさん🚩🌈 (@OneMoreChance99) 2023年9月30日
多治見市社保協で、障害者が65歳になると介護保険事業に統一されてしまう問題についての学習会。見えてくる介護保険のコンセプト。「本人の困難より他人に迷惑をかけるかどうか」「健康で文化的な生活と程遠い管理主義」「死ぬまで頑張れ」。歪んだ制度。これでは誰も救われない。もっともっと公助を。
例えば視覚障がいの評価が軽すぎること(手探りでなにかできるなら「問題ない」等)、弱った高齢者が基準のサービスや食事、最低限の生活支援、同居家族がいるなど支援できる人の存在で削られるサービス、別会計の食事代で圧迫される費用、64歳までの世界と切り離される恐怖。問題だらけの介護保険。
社会から「居なかったことにされている」こうした障害者や要介護者の問題は、我々の「すぐ明日」の問題でもある。憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活」。彼らを守ることは我々自身を守ることだ。
まさにそれにぶつかってます。精神障害者がいきなり介護保険になると自立支援から手を離されて掴まるところがありません。この夏寝込んでも誰かに買物も頼めませんでした。
たとえば、家で出たゴミをゴミ置き場まで持って行って欲しい、とヘルパーさんにお願いしたとします。まあ台所やダイニングで出たゴミは持って行ってもらえます。でも「これもお願いします」と弟の部屋の小さなゴミを持って行って欲しいとたのんでも駄目だそうです。
買物も同じ。「ついでにお願いします」というのが出来ません。それが現在の介護保険制度です。両親の時は自分がまだわりと動けたし、自立支援の場合はもっと大きなくくりの支援が可能でした。それが誕生日を区切りに不可能になります。
いくつになっても病気や障害が変わるわけではないので、年齢のみで区切るのは本当にひどいと痛感します。私よりも若い世代、精神のみならず、身体や知的障害を抱えるすべての人の現状と未来。これはあらゆる障害者にとっての問題です。
私がすごい困ってるから、同様の条件の人もやっぱりすごく困ってると思います。それに気づいてもらいたくて書きました。
書いてるうちにいくらか気分がましになったかも……。やはり黙って耐えているのは良くないと思います。
心は永遠の中二でも身体は平等に歳を取るので、誰かの未来の苦悩でもあります(-_-;)
生活保護受給者に対して、医療を制限することを容認するような意見が医師の間に少なくないことに愕然とする。
— 佐々木 淳 @医療法人社団悠翔会 理事長・診療部長 (@junsasakimdt) 2023年9月30日
収入がないものに生きる資格はないというのは、優生思想そのものだ。人の生命に向き合う専門職の態度としては適切でないと思う。…