お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

経験はすべて学びになる

 

それは突然身に降りかかる

 

ある葬儀屋さんのTweetを見て思い出したこと。いきなりの訃報はとても大変です。家族もパニックですね。

 

 

まとめますね。

 

 

ネット系葬儀紹介会社、家族が急死で警察に連れていかれて、テレビでやっているから依頼したご遺族から。結局、CMでやっていたような金額では収まらず、普通の葬儀屋さんより高かった、慌ててしまい頼んで失敗したと・・そしてお坊さんの件でも、宗派が分からないといったら・・じゃあと

 

どの宗派でもないお坊さん手配しときますね、そして案の定勝手に位牌も作られて、家にある他の位牌と違うタイプの位牌になってしまい、なんだか一人だけ別で可哀そうだという話だった。

 

支払も葬儀社がまとめてくれるでもなく、いろんな会社に直接現場で支払わなくてはならなくて、お葬式の最中も非常に忙しく、いくら払うのかわからなくて困った。こんなことなら頼まなければよかったと

 

戒名もつけてもらったが、最初の話からどんどんお布施の金額が上がっていって不信感を覚えた、あたりは丁寧だったけれど、お坊さんなのか営業なのかわからなかった。伝手がない人は、結局頼んじゃうんだから、なんかもうって感じだそうです

 

 

なんだかどさくさ紛れで大変(-_-;) 「どの宗派でもないお坊さん」ってなんだろう??

 

いきなり来る葬儀に対して、自分の親の場合はどうしよう?と悩んでいる人をちょくちょく見かけますが、やはりこれは生前に親子でどれだけ打ち合わせ出来ているか?ですよね。終末期医療や看取りの時からそうですが。

 

うちの場合は母も私も不思議大好きな、もと「厶−民(^^;)」なので、本当に価値観が近くて、死んだ時のことや死後の話も全然平気だったので、お寺はどうする?お墓はどうする?葬儀はどうする?などなど、結構マメに話し合っていました。お互いが比較的元気なうちから。

 

で、病院から帰宅してその当日、葬儀屋さんが来られました。

 

母の葬儀、会社は母が生前決めていた父と同じところ。「音楽葬で」と。お坊さんは呼ばず。従姉と叔父が同席してくれたので「全部でこれだけの金額の範囲内に収めてください。それ以上は払えません」と主張。

 

了解のうえにさらにおまけのサービス金額でやってくださった。

 

「ようやった」と母が言ってそうでした(^^;)

 

こうしたやり取りがちゃんと出来ないと、それこそ母が心配すると思いました。頑張ってしっかりものの長女をやろうと。それがきっと一番の供養と信じて。そう、あっちでも自慢の娘でいれたら嬉しいよ(^^)

 

この勢いでその後の名義変更や役所の一連の手続きとか、かなりの難題をやり遂げました。「大丈夫。あんたなら出来る」←(これが私の自己肯定感を育ててくれたと思ってる。この根拠のない励ましの言葉(^^;))と。母よ、最後にきっちり自立させてくれてありがとう(^^)

 

 

喪主が毅然としていると揉めようがない

 

納棺は翌日、葬儀場で、となっていたので、私の机の後ろで寝ている母にそういう話しも含めて頻繁に話しかけていました。世間話もいろいろとね。

 

なんというか、そこにあるのは亡骸なんだけど、魂はすぐ近くにいて、私の隣でモニタ覗き込んでる気がしたので。(これは父の時も同じです。そこにいるとしか思えなかったので、缶の黒ビールを半分こしたりしてたのでした(^^;)

 

そのうちに手の甲の点滴のあと始末がちゃんと出来てなくて、うすい敷布団の裏にまで「血液が漏れてきて、ちょっとしたパニックしそうになりましたが、これも納棺の時に納棺師さんがちゃんとしてくださいました。ありがたく本当にすごい。私、あのお仕事には尊敬の気持ちしかありません(^^;)

 

どうでもいいと思えることは喪主の権限でスルーしてもらったりしました。でも葬儀屋さんは非常に良心的で心ある対応をしてくださいました。

 

私は「前例がないから難しい」と言われても「じゃあ、たった今前例を作りましょう(^^)」とか言っちゃう奴なんで、旧例を踏襲しないことも少なくないんです。形式的なことはね。大事なのは本質。家族が基本的にそうだから、納得のうえでできたこととも思いますが。やっぱり先頭切って変革していくタイプなんだなあ。

 

いや、このときは正式な喪服も省いて、家族葬だからみなさん楽な服装で来てくださいと親戚にお願いしました。

 

葬儀屋さんにはいい内容のアンケートでお礼をしたのはいうまでもありません(^^;)

 

 



地震の備えと基本は同じかも(^^;)

 

これを書きつつ、なんか準備のいい家族やなあ、と思いました。日常的に相談しているとこんなもんです(^^;) 母も手回し良くちゃっかりと自分のときの準備に葬儀会館の会員になってたし。

 

私もグリーフ後回しでかなり落ち着いていました。この落ち着きにはパニックを克服した経験も大きいです(^^;) 非常事態対応で肝が座る。ただし全部終わるとあとで反動は出る(^^;)

 

お金の話は私も真剣なので、「これ以上出せません」という金額は最初に提示しようと思っていました。これ、大事だと思います。あー、そうだなあ。老朽家屋の売却の最低価格も決めてた気がします。

 

結局、この費用についてはうちにお金がないのをご存知の伯父たちと従兄が「これ返してくれんでええで(^^)」と分担してお香典として渡してくれました。大感謝。高額だったらこうはいかないですね。叔父も話を聞いてたから無駄と思えるものを全部省いたのを知ってたし。あとはみんなの面倒を見ていた母の人徳かと(^^;)

 

ちなみにどなたが言ってらしたか忘れましたが、あ、例えば占いとかで、最初に提示した価格内で納めてくださるのは信用出来る人。追加であといくら、と請求する人はあまり信用出来ないとかで。

 

 

うちの家族の申し合わせで、生きてる人優先にお金は使うことになっていました。だから父の大きな介護ベッドを置く時に仏壇が開けられない場所になってしまったんですが「こういう事情だからごめんね」とご先祖さんには事情説明とお詫びをしました。父が亡くなるまで4年近く「あかずの仏壇」になっていました。ホントにごめん。

 

でも伯父(戦死した父の兄)は仏壇無関係で来られてたみたいです。父が「兄ちゃん」と呼ぶのは亡き伯父しかいないし。お迎えの時期としては数ヶ月早かったけど、でも父の目線でどこにいるのかはわかりました。別に仏壇が閉まっていても無問題だったようです(^^;)←仏壇はどこでもドアだと思ってた。でも魂は仏壇にもお墓にも捕らわれないみたいです。それこそ自由だよね〜。素敵なことだよね〜♬

 

でもご先祖さんは子孫の不幸なんか願われないから許してもらってました。まあ「生きたお金」は甥と姪の成人までの仕送りにも役立ったわけですが(^^;) 

 

日本政府って生きたお金の使い方が下手だよね、と思うのはついついうちのケースと比べてしまうからかもしれません。

 

なんというか、成仏しているのは確実なんだけど、わりと気軽に来ているような気はします。お線香の匂いはほぼ両親(^^;)

 

あの夢で、2人が私の絵の感想を述べてくれた時から、本当に私、もう一度描けるという気持ちになりました。あの時の悩みとか哀しさをもっとも理解してくれるのも両親なので。私のお絵描きは生き甲斐だってよくわかっている人たち。 おかげさまで(^^) これも大感謝ですね。

 

 

 

今日は本当は休もうかな、と思ったんですが、書きたい衝動が起きたので書いてしまいました。

 

なぜなら、人間は致死率100%で大災害が起きるよりも確率が高いことに対して、心構えをしておくといざという時に役立つと思ったからです。慌てなくてすむだけ、哀しみにひたることが可能ですから…。まあ、どこか防災に似てるかも、と(^^;)

 

 

…でもかくいう私自身、面倒だという理由でなにも書いていないので、早めになんとかしないとなあ、と思っています。たとえ紙1枚の遺言でも(それすら面倒なんだけど)救いは揉める財産がなにもない(本と作品くらいしか)ことかも(^^;)

 

 

 

結局ノープラン下書きなしでこんなに長くなってしまった(^^;)

失礼しました(^^;)

 

 

 

 

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