ここ2,3日のんびりやっていた仕事も、そろそろ今日あたりで完成に至りそうな目処が立ちました。
今回結構体調も精神的にもきつかったので、ここまで来るとほっとしますね。軽躁の時期なら仕事があること自体が本当に嬉しくて仕様がないものなんですが…。
この仕事が出来たら、今度は自分のリニューアル予定(何年かかるかわからないかも…)のサイトの細かなラフを描いていかないと、と考えています。どのコンテンツを残し、どの作品を切るかも決断が必要になります。
あとすべてのページにヘッダーを作らざるをえないのかどうか?どの程度のレイアウトの自由度があるのかなど、それも気になりますが、それはソフトの実物を見てみませんとね… (^_^;) これは予算の都合で来月以降になります。
だからそれまでに作れる素材は用意しておきたいなあ、と思う次第です。
今朝、母が仏壇の前で、伯父が十条病院に転院になることを父に報告しておりました。
そうしましたら、また蝋燭の炎がね、すごい燃え方するんですね。10センチくらい上に伸びて、さらに大きく揺れるという…。あー、これはやっぱり父が伝えようとしてるんだなあ、と思いました。
十条病院で本当にひどい扱いを受けて、嫌な思いをしたのは父なので。「あそこはやめておけ」と訴えたかったんだと思います。
でもね、現実問題、他に選択肢がないに等しいし、伯父ほど軽症にも思えるケースなら大丈夫だと思うよ。心配はわかるけど、こうなったら伯父には頑張ってリハビリしてもらって、一日でも早く家に帰れるようにしてもらうから!
…と、母と二人で懸命に説明して説得して、やっと父も納得してくれたのか、炎も小さく静かに収まりました。ちょっとやれやれ。
この間、母はずっと遺骨を抱いたままでした (^_^;)
昔から思っていたけど、どうもうちの仏壇は「どこでもドア」になっているらしいです。
姪がまだ家にいた頃、中学生くらいになっても「今、仏壇からなんか白い人が出てきたよ」と言ってましたから…。 「あー、たぶんあんたのひいじいちゃんかひいばあちゃんだから気にしなくていいよ」と言っておりました。
姪は「視える」類いの霊感っぽいものがあったようです。現在はどうかわかりませんが、特に子供の頃には大人に見えないものが見えていたようですし。(田舎のお盆の時期のお墓なんかはたくさんのご先祖さまたちで賑やかだったそうです)
そんなわけで、私も親しい方の訃報を受けた時などは、宗教や宗派にこだわらず、まずうちの仏壇で祈りを捧げます。入り口は仏壇でもあちらがわはどこにでも続いていると思うので… (^_^;)
そもそももともとの菩提寺が裁判沙汰になるような、宗教者にあるまじき醜い後継者争い(世襲制ではなかったので)をしているのにすっかり嫌気がさして「やめます」ときっぱり縁を切った私です。
このごろになって、さて、お骨はどうしようかと時々悩みます。遺骨は本当はもう「抜け殻」なんですが、かといって気軽に散骨も難しいし…。(私自身はそれで充分なんですが)
いっそのこと市の公営の納骨堂に納めてもいいかなあ、とも思います。仏教や神道やキリスト教や、いろいろなお祈りを捧げてもらうことが出来るらしいので… (^_^;)
こういう死んでからのことも悩まないといけないのは人間って大変だなあ、と思います。そのうちに父にも聞いてみようかな。どういう返事をしてくれるかわかりませんが…。
家族全員のお骨が揃ってからまとめてお願い、と姪と甥に頼んでおくのがせいぜいかもしれませんね〜。