お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

私を構成する並行宇宙のこと

 

母の年忌(仏教でいえば)も近いので、今日は両方のブログで共通の記事にしたいと思います。すみません。あんまり言い訳するのも辛くなって来ちゃって。というか、さすがに目新しい話題もあんまりないですし。時々はこういうこともあるかと思います。過去にもあったし(^^;)

 

 

なぜか他の子と大きく違う私

 

私が「他の子と違う自分」をはっきり意識したのは幼稚園に入った4歳の時でした。ああいうのもカルチャーショックというのかな。とにかく他の子たちと自分とは全然違う。私にはおゆうぎなんて最悪にくだらなくて、絶対にやりたくないと思ってピアノの脚にしがみついて泣きながら拒否していた記憶があります。みんなこういうのが楽しいの?と理解に苦しんでました。

 

4歳児がくだらないと思うことを高齢者のデイサービスでやらせるのは無茶苦茶だわ(-_-;) 「おゆうぎ くだらない」で83歳の喜久子さんが書いてらっしゃるのにヒットしちゃった。そうですよね~(^^;)

 

books.google.co.jp

 

 

お絵描きの時に他の女の子が描く絵を見たら「ウエディングドレスの花嫁さん」とか私が考えたこともないテーマで、これも本当に理解に苦しみました。趣味嗜好が合わないことばかりだったので、とにかく苦手な場所でしたが、おおかたは自由に本を読み、お絵描きをして過ごしました。2,3人の気が合う友達は出来ました。

 

小中学校も似たような感じでしたが、登下校を一緒にしていた「2,3人の友人からは「親友」と言われても違和感が強く、納得出来ませんでした。私が求める「親友」はもっと厳しい条件のあるものでした。登下校とか一緒にトイレに行くとか、そういうんじゃないんだよね。

 

男女の話でもなく、私がしたかったのはもっと哲学的な話でした。それでも学校でひとりぽつんといるのは問題だったので、あたりさわりなくのおつきあいは続けていましたが。

 

でも私の中には子供の頃から他の子とは違う視点があったみたいです。だから野心とか競争心とかそういうものが生まれつき欠けていた気がします。そういうのは行き場がなくSFの方に行ってた当時の記憶。

 

 



 

家族とその死と

 

私の9歳の時に祖父が亡くなりました。発見が遅れた末期の直腸ガンで診断されてから寝ついて半月しか生きられませんでした。祖父は自宅で亡くなりました。8月の暑い日でした。

 

祖父はあまり子供好きでなく、可愛がられた記憶もほぼないですが、初めての家族の死で忘れられません。母方の祖父も半年前に肺ガンで亡くなっていて、「死ぬこと=いなくなること」という印象が強かったです。まだ死について自分の中の答えが出ていませんでした。死はなんとなく怖かったですね。

 

ただ「人はどこから来たのか?死ぬとどこへ行くのか?」は無視出来ないテーマになりました。

 

「なんとなく死ぬのは怖い」というのは13歳ごろまで続きました。あの思春期前期の戸惑いもまだ理解出来ます。ですが、私個人はいつのまにか「死が怖い」と感じなくなっていたのも不思議です。

 

14歳の時、引っ越した先でもと同級生の男の子が溺れる子供を助けて自分は溺死する、という事件がありました。その子の日常を知っていた私にしても「あの子がああいうことが出来るなんて」と驚きました。その子の記憶については怖いとかそういうものがありません。若くして逝くときはこうも違うのかと思いました。

 



最初のお守りは祖母

 

祖母の死の時は私は小児科勤務でしたが、すでにパニック発作に悩んでいました。臨終のときに母が外した祖母のプラチナの指環(なんの飾りもないシンプルなものです)を私に渡してくれました。サイズがちょうよかったので、そのままはめてお守りになりました。亡き家族がお守りになった瞬間ですね(^^;) オリジナルスピリチュアルグッズ爆誕です(^^;) 

 

でもそれは私にしか効きません。私だから効果があります。潜在能力を引き出す、という。

 

発作が起きそうになっても指環に触れて「おばあちゃんがここにいる」と強く思いました。だからいくらか落ち着く効果になって、亡き祖母を身近に感じることが出来ました。「ものに魂」と言うのも感じましたね。

 

祖母は結構厳しい人でしたが、同じ部屋で寝ていたからあれこれと気づかってくれたこともよく知っています(^^)

 

まあ、亡き家族のみならず、弟が結婚して甥と姪が生まれたら、3,4歳の子供でも私には生きているお守りになりましたけど(^^;) 子供に気づかう立場になるから、自分のことなどかまっちゃいられない、という立場のお守りです(^^;) 

 

ああ、そうか。生前の記憶のあれこれが死後も生きてるから強力なんだなあ(^^;) 私がグッズ類に執着しないのはそのせいかもしれません。

 



 

道具は一切不要になりました

 

両親の死後は本当に介在するのもが不要になりました。家を売却してもいいか?というのをバケネコさんの占いで両親の意志確認をお願いしただけです。「家」というのはさすがに大きなテーマでして。経緯は以下のとおり。引っ越し関連の記録をまとめたフォトブックのページより。

 

 

 

バケネコさん、本当にどうもありがとうございました(^^)

 

 

まあ、めでたく許可をもらったので、頑張って動きました。「引っ越し2度する羽目になったらきっと私は死ぬ」と本気で思って不動産屋と掛け合いました。不動産屋にしたら「たまらんなあ」という心境だったかもしれませんが、私はそれは譲りませんでした。で、その後のタイミングのあれこれの妙はやっぱり天界の人達がはからってくれたおかげだと思っています。

 

両親との対話はものを必要としません。強く思うだけで通じてるし、ごくまれに話してくれたりもしますし、夢でも会えます。やっぱりね「私が強く思う」というのが大事だと思います。

 

それと信じて動くこと。すごく大げさに言えば宇宙を味方につけるみたいな(^^;) 誰がなんといっても人様に迷惑をかけなければ大丈夫じゃないのかな?

 

私の場合の体調不良はまあ、負荷だから仕様がないとして、どううまく付き合っていくかが課題であり、もしかしたら誰かの心構えの参考にくらいはなるかもしれません(^^;)

 

そういうことを含めて、生まれる前の世界と死後の世界を認識するかどうかで、随分生き方も変わって来るよなあ、と思います。現世でいい関係を築けたから家族がお守りになったりするわけですし(^^;) 私自身も辛くともいままで生きてこれたのはこれのおかげだとも思います(^^)

 

ちなみに祖母の指環は私がはめているうちに楕円形になってしまい、はずしてからどこかに行ってしまいました。もうお役目終えたんだと思います。ありがとうね(^^)

 

 

だからいまを生きる

 

これだけ書いて足腰がましなら、書けと言われてる意味だと判断してもいいでしょう。地に足がついていないと無意味だしね。まあ、これも運命思考の生かし方のひとつだと思います。

 

私が生まれる前から世界は存在していて、私が死んでからも世界はほとんど変わらずそこにあるだろうし。まあ、それって一種の安堵感みたいなもの?そうすると同じように悩む人も出てくるだろうな、と思います。そういう悩みが少しでも減る社会であるといいけどね。

 

昨日、宇宙ステーションの過酷な環境を考えていて、もしかしたら地球が人類に対してそういう過酷な環境を作り出すようなこともあるかもしれないとふと思いました。そういうSFあるかもね。いまさら人類に何かが出来るかどうかはわかりませんが…(-_-;)

 

 

 

すいません。自分のためだと本当にモチベーションが上がらない(-_-;) たぶんきっと「誰かのために」の方が頑張れる気がします。そもそもワクチン接種もそうだったしね(^^;)さすがに4回目はもういいでしょ?が正直なところですが。

 

まあ、付け焼き刃の陰謀論などにたやすくはまらない下地はありました(^^;)

 

 

 

 

 

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