いわた書店の店長さんの本が出ます
1万円選書のいわた書店の店長さんが本を出されるというので、サイン本を申し込んでみたり。あの選書に関しては私、早い時期にくじ運がよかったよね、と今でも思っています(^_^;)
当時のカルテに何を書いたか、当然のように忘れていましたが、やっぱり自分できちんと書き残していました。もう、本当に備忘録だなあ。
5年前ですね。実はまだ読んでいない本もあったりします。こういうのはかなり気分に左右されるので。やっぱり一番良かったのは「おもかげ復元師」ですね。私がずっと追いかけていた震災と生と死がテーマ。大変感慨深かったです。
この選書の流れで、今年「トリツカレ男」のいしいしんじさんとも少しやりとりが出来ました。
いつか自分でも何かを本の形で残せたら…という夢はありますね。叶うかどうかは別として。画集と違って文章のほうは自費出版じゃいまいちだと思うし。
あさきゆめみしトリビュート
ちょ…。「あさきゆめみし」トリビュートって、もしかして全編がこうなるの???
いや、セリフなんかは原作のままだけど、絵は合作とか…。すごいな。凄まじいわ、本当に(^_^;)
「続きがある」と書いてあるし(^_^;)
なかなかに衝撃だったので、こういうことを書いております(^_^;)
自分が先に行ってる感ってなんかわかるんだな
昨日の変人診断で「社会に先行している」というのは子供のころからずっと感じて来たからで、周りの変化の遅さがなかなか辛いというのはずっとありました。もっと変わればいいのに、という状況がなかなか変わらないので、それでメンタルを病むパターンかもしれないなあ、と思います。
私の両親からして時代を先行した価値観の持ち主だったので。
私は子供の頃から母や祖父母の昔の話を聞くのが好きでした。冬にこたつが入る前は火鉢があって、その灰の中に祖父が埋めたみかんがありました。焼きみかん、おいしかったらしいですが。
伏見区に引っ越して、祖父が亡くなると冬の昼間は祖母と母が仲良く一つのこたつで向かい合っておりました。私も暖を取りにきて、炬燵に潜って話を聴いてたりするのですね。ここでは炬燵は食事テーブルでもあり、私の勉強机でもありました。当然作業机でもあったりで。
療養中は編み物を習ったり、母が伯父の工場の検査の内職をしていました。まあ、当然、こたつの上にはミカンがありました(^_^;)
面白いのは昔話は聞くけど、学校の勉強を教わったりするのが一度もなかったですね。「わからないから親に尋ねる」というパターンが一度も思い出せません。定期テストを終えて帰ると「テストどうやった?」「うーん、まあまあかなあ」というのがいつもの会話で、本当にそれしか答えようがなかったなあ。
家族から学ぶこと
当時は土曜日半日授業です。ホームルームと掃除を済ませて帰宅すると2時を過ぎています。当然非常に空腹ですが、当時の定食メニューみたいなものが、毎週出てました。白いご飯と具沢山の味噌汁と、煮豆、漬かりすぎたきゅうりとナスの糠漬けをたくあんと細かく刻んで、生姜をすってお醤油で食べる。…それだけの素朴なメニューがひどく美味しかったです。
ご飯3杯、味噌汁3杯。人生で一番お腹が減る時です。痩せるの太るのも全く考えず。空腹は最高の調味料ですね(*^^) 私も贅沢してないわー。大豆食品はいまでも大好物ですし。肉はいらないし。
いま振り返って見たら、すごい健康食ではないかな。動物性のものが1つもないけど、肉が嫌いな私にはこれで充分(^^) ぬか漬けは母が自分で作ってました。漬かりすぎた時の活用がこれなんですね
私、今はやってないけど梅干しも作れるよ(^_^;) これしきのことで結構しあわせになれる自分を発見しました(^^;)
で、母が食事の支度をする間、冷蔵庫にもたれて学校の話などしつつ、やはり取り止めない話を聞いているわけですが、そうしている間に料理のコツとか味付けとかもなんとなく全部教わってた感じです(^^;) まともに習ったことないのに、なんか無意識に母の味の再現ができることにも驚きます。
ほかにも困ったときに使える制度の話とか、市民しんぶんにはそういう大事なことが書いてあるとか、そういうことまで、なんとなく知らないあいだに教わってました。ライフハック生活術ですね。学校で教わる以外の必要不可欠なことを知らないあいだに学んでいました。なんか勝手に実用知識が出て来るんですよね。不思議な感じです。
現在の私がコミュ障じゃなくてそつなく人と交流出来ているとしたら、こういうときにその方法みたいなものを母から学んでいます。誰にどういう気遣いをすればいいのか?とか本当にお手本でした。いなくなった現在のほうが身にしみてわかりますね。ありがたいことです。
結局私もごく自然に誰からもなにごとからも学ぶ習性があるみたいです。習性?習性としか思えない(^_^;) 全然意識してやってないし(^_^;) そういうのが「おもしろい」と感じたら家族のことも生涯の面白いテーマになるようです(^^;)
私の両親は「私らが残してあげられるのは教育しかない」と言ってたけど、経済的には大学までは無理なのはわかってたし、取り立てて進学したいとも思ってなかったし、それは全然かまわないんだけど、いまになって振り返るともっとはるかに大事で意義があることをもらってた。 やっぱりありがたいことです。学ぶ場所が必ずしも学校であるとは限らないということね(^^;)
私は今生は人生そのものについておさらいというか、仕上げっぽく家族や友人を通して深く学びに来てるんだと思っています。大変だけど基本楽しいから素敵なんですよね(^_^;)
もしかしたらもう地球人として生まれかわることはないかもしれないので(いや、根拠はないけど複数の方にそういうご指摘をいただいたので、それも良いかなと思っています)なにごとも楽しい経験に出来たらいいなあ、と(^_^;)
色々経験して、現在ほぼこういうことが可能になりました。ほとんど何もないんだけど、なんかささやかな変化が楽しいです(^^) 自分がネガティブな体験からでも学べることがわかったし。楽しいと感じるとその場でお手軽に幸せを感じられることも実感してるし。オキシトシンが分泌されてるなあ、って(^_^;)
「努力する者は楽しむ者に勝てず」by 孔子
そだねー。なんでも楽しもうという心構えでいると、人生の荒波もあんまり苦労じゃなくなるもんね(^^) 自分が死ぬ間際に「ああ、いい経験が出来た。楽しかった(^^)」と納得出来たら最高かもしれません(^_^;)