iMacセットアップ中です
おそるおそる、結構嫌だなあ、と思いつつ、iMacのセットアップを始めました。
iMac今度こそめでたく起動しました(^_^;)
現在初期設定中ですが、データを戻してセッティングするまでかなりかかりそう。もう顔がのぼせて大変です。苦手なことやってるから。あとはゆっくり時間をかけてやりたいです。苦手意識は身体に出ます。本当にサポートの人と電話でわたわたしていると、顔がのぼせて頭痛がしてきます。決して得意じゃないことを無理やりやってるから(-_-;)
Macにあの「じゃーん♪」という起動音がないと、いつ「もういいよ」になったのか全然わからなくて不便。いつのまにかなくなってるんです。他の用事をしている時も音があればわかるのに。
無言でなにかやってた、というのはスマートだけどあんまり親切ではないです。Shiriはべつになくてもいいけど、あの「じゃーん♪」の音は残して欲しかったなあ(>_<)
で、まあ、昨日は本当に初期設定だけやりまして、ネットとメールは設定したけど、他はまだです。一度にやると身体に堪えるので、今日はタイムマシンのデータをピックアップして読み込む予定です。
サポートの人も記録を見ながらバトンタッチしてくださっているので、一日で済まなくても「ちゃんと責任持ってやります」そうなので、まあ安心かな(^_^;)(そのためにアップルケアですね)
アプリケーションとそれらの環境設定をどこまで戻せるか?が課題です。もともとの容量が1.7くらいあったから、それをまるまる2TBに戻せませんしね。
絵の作品は外部ディスクに置いておいて、必要に応じて取り出すしかないかなあ。私のことだからしつこくDVD-RWにも焼いてますけどね(^_^;) ポータブルHDDにも入れてるけど、何重にも保存しても全然安心じゃないんです…(>_<)
日本語入力にはいままでことえりとかわせみ2を使ってたけど、MacBookProでGoogle日本語入力がお利口さんなので、こちらにしようかなあ、と考えていたりします(^_^;)
MacBookProも慣れたけど、やっぱり27インチは迫力ありますね。メモリ念願の32GBだし。まあ、人生で最後から2番目か3番目のMacだと思います。大事に使いたいです(^_^;)
こんなすっきりした机ならいいのになあ。
原点回帰しそうだわ
英語かドイツ語かもう一回頑張ろうかと思って大型書店に赴くも、現代詩歌や万葉集のコーナーに足が向いてしまう。
— Hashimoto (@r_hashimoto) 2020年11月10日
どうせ老い先短いなら、外国語に堪能になるよりも、母国語の美しさを味わい尽くしてから死にたい。
日本の古典は10代の頃から好きですが、もう晩年に入ったし、ゆっくりじっくり古典を再読したい願いは強いですね。古典とか和歌とか民俗学あたりに原点回帰しそうです(^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年11月11日
私もこの願いは強いですね。もういまさら語学はいいし(現実的に使えないし)綺麗な日本語、綺麗な風俗史などとじっくりつきあいたい願いがあります。
まあ、きっと多分そうなるんじゃないかなあ。自分の蔵書を見てもそう思えます。10代への回帰みたいですけどね(^_^;)
ここへ来て1年弱でクロネコ、サガワ、郵便局の宅配担当の方にもれなく顔と名前と部屋を覚えられている。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年11月11日
不在票を見て電話したら「あ!ふじもとさんね(^^)」と
ただちに返ってくる。前の住所の時とおんなじ(^_^;)
まあ、親しくなるのはいろいろと便利ですが(^_^;)
玄関は開いてたのに、私はお風呂、弟は寝ていて出られなかったのでした(^_^;)
でもこの、どこも「住めば都」感(^_^;)
視野で変化する自分の世界
私はやはりイメージの力が自分が今いる場所を作るんだという気がする。自分が居心地いいと感じられるためにはどういう環境を構築するか?住む場所を選び仕事を選び人間関係を選ぶ。こういう対応をしてもらえると嬉しいと思う対応を自分から始めるなど。
クリエイティブな職業でなくても自分のまわりの世界をクリエイティブに構築していけることは可能だとわかった。大きく言えば人生そのものを構築する楽しみもあるということですね。いきなり世界を変えられなくても自分は変われるから。
でもこれが難しいらしいけど。
たとえば悩み事1つでも、自分自身が人生を演じているキャラだと思えば悩みと距離が出来て客観視出来ますよね。深刻さの度合いが違ってきます。
私はずっと無意識にそれをやってたみたい。もうじき17年目に入るブログでそういう視点を書き留める訓練が出来てました。
言語化するとやはり若干冷静になれます。読者を想定する場所で罵詈雑言はありえないしね(^_^;)ただし愚痴はこぼしますけど。
そういう場を活用させてもらえてありがたいです。 私は私の人生の当事者なんだけど、それを演じている役者でもあるんだよね。この感覚は面白いです(^_^;)
待つしかない時間もあるし、どうにも病むしかない時もあるけど、それはまあ仕様がないですね。世の中にはめぐり合わせもタイミングもあるしね(^_^;)
本来の自分とキャラを演じてる自分とのあいだの僅かな距離感が「余裕」になるのです。これがあるとかなり楽です。
少なくともあまり絶望はしないし、希死念慮があっても死に急いだり衝動に走ることもまずないな。
自分自身を好きでいるためには自分に正直でいないとね。でもそんなに難しくないですよ。私は自己主張が強いのでHSP成分がフォローしてくれていると思っています(^_^;)
プラス面に着目すれば有効に利用出来るんだし。…ということでHSPも悩みではないです。
「視野を拡げる」「視野を柔軟に変化させる」ほどに多分生きやすく感じられると思います。
「死にたい」という時は視野が極度に狭くなっているので、一晩待ってみて意図して視野を拡げてみた方がいいです。 私の経験から…。