今日の私
今日2本目の記事。更新して寝ますね。
寝たり起きたり、午前中に買い物に行った以外はぼーっと過ごしております。
弟の布団を干したりする暇もなかったなあ。部屋のゴミは拾ったけど、掃除機などかける暇もなく。でも入院前はもっとひどい状況だったから、よくあれで気持ち悪くないなあ、とは思いました。
食べた後の食器とか空になったペットボトルとかもそのままで…。布団カバーとか注文したけど、交換する余裕がないかもしれません(ーー;)
ましてや本人は現在過眠だと言っているので。好きなだけ寝てればいいと言っています。
訪問看護師さんと電話して、今回は自分で入退院を決めて実行したから、しばらくは本人の意思にまかせて見てるだけがいいかも、とのことです。それもありかなあ。また看護師さんも来てくださるので、私はもうちょっと手を抜いてもいいのかも。
臨時に受診すると弟が言い出したらそうしますが、しばらく様子見ですね。
この頃しみじみと思う。
私が止められるのは自分の自殺だけです。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年9月28日
他の人の自殺はうまく止める自信はまったくありません。
自分のパターンはわかっているからなんとか出来ると思います。なにしろ50年のおつきあいだしね。次第に笑えるようになってきたけど (^_^;)
あまりにも同じことを言われてしまう
ところで、私、現在迂闊に行動が出来ません。看護師さんにも言われてますし、易経の方でもこういう卦が出ています。
水雷屯(すいらいちゅん)
「生まれ出ずる悩み。産みの苦しみ。」
新芽が土を突き破り、地上に出んとする事象。
草創期の危険と困難、苦しみを乗り越えてこそ、新しい世界が始まる。
実はこれ、4大難卦のうちの1つです。困難の多さを示しています。が、うまく人様のサポートが得られれば、先には明るい展望が見えますね。
こちらのサイトの説明をお借りします。
水雷屯(すいらいちゅん)の解説|卦辞の読み解き方
水雷屯とは、陰と陽がまさに合わさった瞬間を意味する卦です。そのため、まだ安定はしておらず、険しい時期であり思うようにいかないという意味になります。
また、「屯」は留まることを示しており、また「勿用有攸往」は状況を動かすべきではないことを指しています。
しかし「元亨利貞」とあるようにやがては大願成就に繋がるでしょう。
そのためにもすべきことは「利建侯」、すなわち誰かに任せることです。なお、人を頼るというよりも、自分のもとへと引き入れ、働いてもらうという意味になります。
水雷屯が導かれたときにはじっと耐え忍ぶべきであり、行動すべきではないという意味になります。
水雷屯(すいらいちゅん)の意味|大象の解説
どんなことも自分の手を下すべきではありません。もしやらなければならないことがあるとすれば、それは誰か別の人にお願いしましょう。
また「利建侯」とは「諸侯に任せるべき」という意味ですので、部下や目下のものの力が必要になってきます。商売をしているのであれば、誰かを雇うべきという意味になりますね。
人にやってもらう必要があるため、相手を見抜く目が求められてくるでしょう。そして、その相手を繋ぎ止めるための人徳も求められてきます。
緊張しがちな時期になりますが、春の嵐のようにここを乗り切った先に待つのは穏やかな未来。光差す明日を目指して、今は自分を磨きましょう。
「天中殺」とも重なります。
いろんな方向からいくつも同じことを重なって言われると、これを守らないとバカかも、と思えて来ます。易は自分の経験上でもかなりよく当たるので。
むやみに動くと破滅に到るかもしれないと暗示されているのかもしれません。易はオラクルカードと違ってわるい事もかなりはっきり表示するので。
弟のことも「しばらく本人の意思に任せたほうがいい」というご意見の元で、いらないことは言わないようにして、じっと様子を見ているところです。
私は本来、自分が動いて道を開いていくのが性に合っていますが、たまには「じっと待つ」必要も大事だなあ、と思っています。もどかしさもありますが、まあ仕方がないです。「待つ」というのも知恵であって、選択の一つです。「好きな方向へ行く」という場合、東西南北のみならず「その場で動かない」という選択もあるということだそうです。
ただ待つだけ、は結構辛いけどね(^_^;)
どうしても動きたければ、誰かに代わりにやってもらえ、とのことですが。これは一層難しいですね。まあ、大きなことや生命に関わること以外は先延ばしにしても問題ないかな、と思いますが。
色々と決めることはちょっとそこに置いておいて、他にできることを地味にやろうと思います。なんか別の本では「半年くらい覚悟して待ってみろ」とかあった(ーー;) いいよ、今更の半年くらい。自分でやりたいことやって待つわよ。
あ、半年経てば年運天中殺も半分は終わります。
私は自分が動いて道を開いて行きたい方なんだけど、なにも出来ずに待つしかない時期もある。もどかしいけれども人生にはそういう時期も必要不可欠なのかもしれないですね (^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年9月29日
「待つ」という修業??
地元の自助グループと出会いたいなあ、と思います。