半日だけ動いた昨日
まだやはり寝てばかりいます。
昨日は年金支給日。郵便局の窓口が10時開始(ATMは9時から)なんだけど、いずれにしても列が出来ていました。先に買物したけど、それ持って待ってるとお弁当とか痛みそう (/_;) ますます暑くなると嫌ですね。もう鼻水で苦しいから人のいるところでしかマスクしてません。もうじき缶バッジも出来てきますが (^_^;)
ヘルパーさんか介護士さんに車椅子を押してもらって郵便局に来られている高齢者も少なくなかった。お一人で車椅子生活をされているのかもしれません。いろいろ考えさせられる光景でした。
マスクをはずして走る帰り道は誰もいなくて公園の横で緑がいっぱいで爽快 (^_^)
今年2回目の水無月。スタンダードな白。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月15日
お茶はほうじ茶で(^-^)
普段の和菓子なんだけど、季節ものではあるんだよね。 pic.twitter.com/6XATbTdv7T
離脱症状は未経験です
精神科の薬について。私は何か新しい薬を飲み始める時に自分に合わないと、すごく強い作用が起きるんですね。発疹が出たりとか。まずやはり過敏すぎる身体が反応起こすようです。
まったくそういうのがない薬もあるので、そういうのは確実にプラス効果があるし、身体ってすごいリトマス試験紙みたいです(^_^;) なんでそういうのがわかるのか、自分で不思議ですが、わかるんですよね。過敏たる所以です。
それですぐに主治医に相談に行って「合いませんね」と言うことでやめることも結構あります。なんか合わない薬に対する反応がアレルギー並みかな?と自分でも思うんですけど…。
初期にそう言う反応が出るから、逆にやめるときはほとんど離脱症状とかはないです。だいたい一月くらいかけて徐々に減らすことになりますが。そのやめ方が自然というか…。
もっとも私の場合は飲み忘れが増えた→忘れたけど、あまり影響がないみたい→先生、もうやめてもいいでしょうか?→「もう必要ないか?ならやめるか?」というパターンです。
私の主治医、減薬→断薬が上手なのかな?だいたいひと月余りで影響はほぼなくなります。一番強烈なのが弟のアルコールからの離脱で、複雑性癲癇やらで救急車や警察のお世話になったから…。
今はずっとデパケン飲んでるし、お酒自体を飲んでないし。振り回されなくて助かっています(^_^;)
なんとなく自然に「もう必要ないわ」という感じになって行って、眠れなかったのも、懸案だったことが解決したら眠れるようになりましたし。
もっとも今はだるくてしんどくて12時間近く横になってて、さらに昼寝もしてるんですけど。昨日も昼寝してました。さすがに湿度が堪えるのでエアコン入れっぱなしです(ーー;)
記録する意義がわかった
去年もあの大変な最中に夏場は片付けを休んでいました。2ヶ月くらい。やはりダウンしてたんですね。
自分のためにブログに記録する意義を痛感しています。どういうことがあったか、だけでなく、誰にどういうふうにお世話になったかということまで鮮明に思い出してまた感謝が出来るし。
ブログも絵も写真も自分の過去と未来を行き来するタイムマシンのようです。人間はなんと豊かなものを得られたのかと感謝しています(^^)
ただね、喪失体験の辛さを癒やしてくれる薬はやっぱり「時間」しかないのです。
失恋や離別や死別の薬は時間。そのためにどれだけその人が好きだったかも記録しておくといいです。ずっと未来で「自分はこの人をここまで愛せて良かった」と思えるときが来ます。その時の自分に贈るプレゼントです(^^)
郵便局が「未来の自分へ送る手紙」というのをやっていて、10年後に届けてくれるそうですが、預けておかなくても過去記事でいつでもその時に戻れるやん、と思います。
父の最期の瞬間も、いつまでも覚えて痛くて、臨終の時から葬儀、葬儀後のあれこれについても詳細書き留めています。2009年の10月から11月のことですね。
自分で読み返すと、本当にささやかなことでも鮮明な記憶としてその場にいるように蘇ってきます。多分それが文章の力なんだと思う。読むのは自分だから、自分が読めればいいので、うまい文章である必要もないですし。
私は嫌な記憶は反芻しないようにしてますが、逆にそういう残したいものは記録します。地下でゆっくり時間をかけて宝石になるように、過去と未来の自分に贈る記憶と想いの綺麗な結晶です。
毎日後悔しないように生きると、おのずと結晶が出来ていきます。ブログ16年でなんかそういう境地に達したわ(^_^;)
1000年後にもしも人類が存在していたら、「昔の人はこういうことを考えていたのかな」と紫式部日記や更級日記みたいにひっそり残ればいいのいなあ、とふと思ってしまいました(^_^;)
自分だけが持つ才能・強みは、すでに自分の中にあります。
— 島本卓也@科学的強み分析コーチ 協会代表 (@freedom0226) 2020年6月15日
自分と本気で向き合い、自分のことを深く知っている人はこの言葉の真意がわかると思います。
足りないのは才能・強みではなく、才能・強みを見つける力、本気で自分と向き合う力。
私は子供の頃からずっとそうだったから普通だと思ってたけど「自分で考えてひとりでも行動する」というのはハードル高いことなんだな。一人でお弁当食べるとか、無意味につるまないとか学校の外で親友を探すとか、すごい当たり前のことなんだけど。まず自分が決めて動かないと何も始まらないしね。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月14日