気絶睡眠の毎晩
最近、「横になる→すぐに寝る」というパターンが定着してて、Kindleで漫画読んでて床に落とすのが頻発しています。そんなに睡眠負債はないと思うんだけど。
仕方がないのでずっと充電体勢。落とすショックが横のワゴンのところに結んであるコードで少し緩和されます(-_-;)
座ってもたれてリラックスしても寝てしまう。困る(-_-;) リラックスしてなにかしようとか、たとえば瞑想とか、軽いストレッチとかそういう類いのことをですね、やろうと思っただけで寝ちゃうんです。困る (ーー;)
とりあえず安全だと思える場所でゆったりと身体を預けるとそうなるみたいです。
だから美容室の椅子でもものすごい眠気に襲われます。ウトウトしてる。どのみち見えないから週刊誌はいりません。お愛想っぽく美容師さんと会話はするけど、正直瞼は重いです (ーー;)
パニック障害だった時には考えられない気の抜け方です(^_^;) もしかして日常的にリラックス傾向なのかもしれません。そんなに眠くなる薬は飲んでないし。深夜覚醒の原因だった住宅問題は解決したし。
電気を消して仰向けになると数秒で気絶睡眠ですね。ごくたまに2〜30分くらいかかることもあるけどね。
体力が落ちている時とかは目茶苦茶よく眠りますが。普段はそうでもないかな。6〜7時間くらいです。でも「いきなり爆睡して」→「いきなり目が覚める」感はずっとあるから、全然夢を見ないです。つまんない (ーー;)
でも
ここには すべてがあります だからしあわせです
何もかわったことがないということ
平穏無事に過ぎる一日がありがたいです
いままでいろいろありすぎたから
なんとなく悟りの境地に似てる?
人は経験から学び、さらに歴史からも
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月13日
読書からも学べる存在であるのだよ。
学ぶ機会は特に多くてもいいと思う。
限定しない方が広い視野が持てる。
なんかねー、このごろ肩の力がかなり抜けた感があります。やらねばならないことをやり終えたからかな。
Twitterで自己肯定感の話題になってて。
祖父から褒められたことはなかったが、かといって「褒めてもらえない」と感じたこともない。
— 🍀いちは🍀 (@BookloverMD) 2020年6月11日
自分の存在の全てを肯定されるというのは、こういうことだろうと思う。
同じことを娘らにしてあげられているだろうか。
とてもその自信はないが、少なくとも理想像があることには感謝しないといけない。
うん、私も褒められた記憶はそんなにないかもしれません。でも怒られることもなかったです。
褒められた記憶はあまりないかも。でも弱い子供を大切に育ててくれて、意思を曲げずに大事にして伸ばしてくれたのはありがたいです。入院中、太ももに太いリンゲル注射をされたあと蒸しタオルで懸命にマッサージしてくれた両親は忘れられません。ああいうのが自己肯定感の源かも(^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月10日
親なんだけど、なんか私の場合はもっと高位の尊敬の対象だったりもするのです。ファザコンだしね (^_^;) 生き方そのものがお手本みたいな感じ?いろいろひっくるめてありのままの私を愛してくれたので、私自身もありのままの私をえ認めて受け容れて大事にしようかなあ、と思いました。
まあ、そうしますと、病気や体質のことなども、それ自体はしんどいし楽なことでも楽しいことでもないんですが、でもそれらを含めて私という人間が作られてきて、いまここにいるんだなあ、と思ったら「それでええやん (^_^)」と思ってしまいました (^_^;)
なーんや、こんな当たり前のことでよかったんや、と思えたし。
だから無理やりに病気を治そうとか、そういうことにもこだわらないで、改善の努力はするけど、「病気=悪いこと」「老化=悪いこと」というのはちょっと違うなあ、と思っています。
生まれつきの自律神経失調症も両親がそのまま受け入れてくれてたんだから、私もありのままに受け容れればいい、と思いました。いつものことだから上手に付き合っていけばいいんやね、と…。
マイナスだと受け止めるのは違うなあ、と思いました。これも含めての私の課題だから。
だから私の場合は「受け容れて共生すること」が今生の課題のひとつでもあります。
毎日のささやかな暮らし自体も、読書で知る世界も、まだまだ未知だったりする歴史も、すべて学ぶ価値があるとも気付きまして。日々生きることがささやかな学びと実践です。
もしも良くなる時が来るならば自然と体調も良くなるし。かつて眠れなかった日々がいまは深い眠りの夜になっているように…。
薬などもやっきになってやめようとしなくても、不要になれば身体がサインをくれます。なんとなく飲み忘れてたけど、それで問題がないからもう必要はないのかな?と先生に相談して確認してやめたとかね。そういうのも何度もありました。
なんでみなさん、精神科の薬を焦って急いでやめようとするのかなあ?と思ってました。もういらなくなれば身体が教えてくれると思うんだけどね。
問題から逃げないで、懸命に考えて、行動して解決して納得して腑に落ちれば、その先にご褒美みたいな改善が待っていたりします。これは自分の経験で身にしみました (^_^;)
主人公だと思う
こういうことも学ぶ対象だったんだなあ、と思います。ゲームをする人なら乗り越えるべき障害になるのかな?(私やらないからよくわからなくてすみません)
まあ、漫画でも小説でも主人公が成長するためには乗り越えていく試練がいろいろありますよね。そこを越えるたびに成長出来ている、という感じの。
自分もそのキャラクターだと思いました。そういう漫画描いてたこともあるし。「いやー、もしかしたら、私主人公が苦難を越えて成長する話しって好物やんo(^-^)o」と気が付きました。
自分もそういう主人公だという視点にたつと、目の前の障害が課題になって、どうやって越えるか?適切な方法はどうすればいいか?とか、たとえ困難であっても乗り越えることにやり甲斐を感じるようになりました。
で、やっぱりゲームだったら、困難を越えたところに宝が埋まっていたりするのでしょう?私が感じる「ご褒美」はその「宝」なんです。そのつもりじゃなかったのに、いつのまにか症状が改善していたとか、痩せてたとか、そういうご褒美 (^_^)
期待していたわけじゃないから嬉しいです (^_^) なんかそういう楽しみを覚えてしまった。人生って課題でもあるし、学びの場でもあるし、いや、本当に深いと思いますo(^-^)o
文章でも写真でも絵でも、本の形にまとめると、ささやかな達成感がやがて大きな達成感になって、自信につながる良さがあると思っています。それが何度も繰り返されると本当に揺るがない自信になるし、他人をいろいろ説得する力にもなります。何かしら「本の力」ってあるんだよね。 pic.twitter.com/BJ3W3MK77X
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月13日