まだ様子見中です うつも強いです
いまのところ蜂窩織炎は膝にまで達していませんので、このままマシになってくれるといいなあ、と思いつつ、さらに様子見中です。
でもこの足、実はシャワーのぬるま湯があたるだけでも痛みます。温度と水圧?真冬ならシャワーもしないんですが、気持ちをスッキリさせたくて簡単にシャワー… (^_^;)
足が重なると痛いので、横向きに寝るには工夫が必要です。全体的に6年前よりはひどい感じにはなっています。これ以上ひどくなると靴がほんとにね(-_-;)
うちのお風呂って脱衣所より5〜6センチ高くなっています。(変な中途半端なバリアフリー?玄関もトイレもそうです。数センチの段差があります)昨日はよりにもよって、お風呂場の段差の端っこに足をぶつけてしまって涙が出ました(>_<) 馬鹿だなあ、と思います。人間って痛い処に限ってぶつける傾向がありますよね。
蜂窩織炎って家で歩けなくなった男子高校生もいるんだから、必ずしも年配者だけの病気ではなさそうです。力士の職業病も脂肪が多い体型と裸で足の怪我が多いからだろうな、とも考えられます。皆若いもんね。
うつになると、なんというか道に迷っている気分になります。軽躁のときは「勢いで行っちゃえ!」と思うのにうつだと立ち止まってすぐに歩き出せなくなるんですね。長い登りの石段が目の前にあるみたいな。
進むのが嫌になるので、ここ数日立ち止まって途方に暮れています。後戻りはしてないけど… (ーー;)
正直、とてもしんどい。やっぱりこの落差がこたえるんだよね〜。比較の対象が他人ではなくて「動けた時の自分自身」だしね…。当分立ち止まっていてもいいんだけど、なにも手につかないのが一番辛いかも… (ーー;)
普通の人はここまで落差ってないと思うんだけどね… (*-д-)-з
心身共に絶不調です (/_;) うつなんだからたまにはネガティブでもええやん、それが自然やし、と開き直る。痛いところがあるのに無理して笑う必要もないし。ネガティブも当たり前だと肯定するのが逆にポジティブ。(わかります?(^_^;))
必要なのは車輪の両方
「うつの時も軽躁の時も基本的に変わらない部分が本当の私」という認識で合ってます?
これって他人に理解されないと時々悩んでしまう部分です。私でも悩むんだからみなさんそうじゃないかと思う。
でもこういうのって伝わらないんだよね。だから誤解されやすい。
人格が変わったわけではないし、主張がかわるわけでもないし、嘘をついているわけでもないんだけど。
よく身体症状があるうちは療養して、と言われるけど、それで治まるものでもなくない??と思ったりする。
— プシコ代表 (@Psyco_daihyon) 2020年5月14日
身体症状ってそんなあっさり消えるものでもないよね。寛解して働いてても普通にあったし。
身体症状って本当に辛いですよね。気圧にも敏感になるし、メンタルが鍛えられたところで、心を折るのが身体症状だと思います。
— プシコ代表 (@Psyco_daihyon) 2020年5月15日
なかなか自信が持ち切れないのとか行動に制限がかかるのが身体症状だとも思えます。さらにそこに別の身体的な病気が加わると、どーっとうつ状態に… (T-T)どこかが痛いだけでも落ち込みますよね。身体と心は別に分けられないとしみじみ思います。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月15日
このやりとりは結構本音です。認識が変わればいくらか変わるところもあるけど、やはり服薬でないと効果がないところも少なくないです。
この蜂窩織炎みたいに炎症が起きていたら抗菌薬飲まないと治らないし、ほっぽっておくとよけいにひどくなったり、最悪生命に関わる可能性もあるので、脳に炎症が起きているなら、それに対処する薬はやっぱり必要だと思います。
だから精神疾患でもまったく薬を使わないで治す、というのには懐疑的で、薬も認識面のフォローも車の両輪だと思います。
両方を上手く使ってちょうどいいバランスを捜すのがとても大切。
この仕事をしていると、昨日まで全く元気にしていた人の命が突然に奪われてしまう、そんな例を何度も目にすることになる。
— 外科医けいゆう|Takehito Yamamoto (@keiyou30) 2020年5月15日
「生」というのは、一見何気なく享受しているようで、実は想像以上に脆く、はかない。
「今日を生き延びた」という事実は、一見当たり前のようで、実は想像以上に尊い。
ホントにそうですね。特に元気な時は忘れがちだし…。