温度変化に身体がついていけなくて、今日も短めです。
やっとクローゼットにたどり着いた
自作の服をやっと発見しました。
でもその当時、製図からきちんとやって、デザインも色々工夫した「作品」だけに見ちゃうと捨て難くなってしまう (/_;)
クローゼットに入れっぱなしでカビ臭いですけど、でもそれ以外はなんともなっていませんでした。ちゃんとクリーニングもしていたようです。
写真の他にもまだあるんですが、とりあえず。これらを見ると着た時の思い出もいっぱい蘇ってくるし、やはり自作と言うのはひときわ愛着がありますね。
少しくらい痩せても太っても対応可能なデザインでしたが(自作だからそう言う工夫ができるんですよね)「少しくらい」ですまなかったドグマチールの影響 (ーー;) なんだかじわじわとすごく太りました。そして代謝も悪くなってむくんでちょっとやそっとじゃ痩せない(ーー;)
長いことそれを知らなくて、内科で処方してもらっていたから悔しい、マジで。
でもあれを飲んでいなければそもそも仕事に行けなかったかもしれませんしね…。
洋裁を習ってたのは20代の前半で、高二の時に罹患した慢性膵炎の影響がまだ抜けない頃でした。
でも療養中とはいえあ、「何もしない状態」に耐えられない私(私はやっぱりそういう性分なんだな)、それ以前に従姉がが習いに行っていたと言う個人の先生の教室に通いました。
週に一度の教室でしたが、色々マスターしてくると、私もどんどん自主的に進んでしまって、教室ではわからないことだけ聞くと言う形になっていました。他の人の習い事のペースに合わせるともどかしいんですよね。これは普通の勉強でも同じでした。出来る教科はどんどん先に行っちゃってた(^_^;)
だから自分の服のみならず。母や祖母の服や近所の人の服もアルバイト的に縫っていました。一時期は洋裁店で働こうかと思ったくらい。
でもどうも割に合わないと感じて、そこから医療事務の通信教育を始めるんですが。
その時縫った服のあれこれ(一部)
スカラップの裾と切り替えのツーピース。
弟の結納の時に着て行きました。
上着の裾とスカートの切り替えをうまく合わせるのに苦労した記憶が。
ボタンホールは手で開けてます。ほつれそうな生地だったので。上下とも裏地付き。スカートはフレアーです。
(向かって左)
楊柳のワンピース。細いレースで縁取りしています。気に入っているデザインです。
(右)
秋向けのアンサンブル。これも自分のデザイン。ベストはチェックとリバーシブルになっています。ベルトつき。
このベストの型紙は重宝して、パイピングの縁取りで、違う生地で何枚か作りました。
このデザインは気に入って、従姉にも別の生地で縫って、就職祝いか何かにプレゼントした記憶があります。
(左)
これも自分のデザイン。フォーマルなワンピースとロングベスト。当時凝っていた古代衣装の雰囲気を出したくて。ポリエステルジョーゼット。アクセサリーを工夫して弟の結婚式で着ました。
(右)
コートですね。でも多分ウール100%じゃなかったと思う。真冬は寒かったし。故にあまり着る機会がなくて、同時期に母に縫ったコートの方が暖かくて重宝したようです。
母のことだから、人から褒められたら多分自慢してたと思いますが(^_^;)
冬用のブラックフォーマル。スカートは円形に近いフレアーです。ウールジョーゼットで袖までしっかり総裏つき。コートなしでも着られる暖かさ。
今の市販のブラックフォーマルはスカート丈が短くて気に入らないです。本当は長いほど正式らしいので。今、縫えたら自分で作りたいものがいっぱいあります。でもね…。
お嬢様風ワンピももうお嬢様という歳じゃなくて着られない。もちろんサイズも無理だしね。気に入ってたのに。既製服はさっさと処分しましたが「作品」は難しいです。いっそ死ぬまで持っとくかなあ?
自作への愛が重いです (ーー;)
双極性障害になって真っ先に出来なくなったのがお裁縫でした。それは非常に悔しいです。今ではドールの服すら縫えません。
あまつさえ、ちょっとした手作りの材料も買うだけで手が出ないと言う病気になっています。なまじ作れただけに現在できなさ加減が堪えるんですが、でも最終的にお絵描きだけは残っているから幸せかもなあ、と思います(^_^;)
私はいくら療養のためとはいえ、「何もしないでじっとしてろ」と言われたら気が狂うかもしれません。本当に何もしないではいられない性分らしいです。療養よりも「やりたい」が勝ってしまう不思議…(^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) May 12, 2019
「描きたい」し「作りたい」。
それが私にとっての「生きている」ということ。