ものが高いから売るのも難しい(ーー;)
昨日、不動産屋さんが来られまして。「何度かお電話したんですが、お留守でしたか?」…ごめん。裏で片付けていたら電話の呼び出しが聞こえんのよね。いるけれどもいないのと同じ状態です。うちの電話器、子機も付いてないしさ。
で、うちの担当さんと違うなあ、と思ったら「すみません。彼は体調を崩して入院してまして」とのことでした。あらー、でもそういえばイベント関係の仕事を身体を壊して辞めて、今の仕事にかわったとのことだったし、去年の地震と台風の被害で家も壊れて大変だったんじゃないでしょうか??災難ですねー。
本当ならずっとその人に担当してもらいたかったんですが…。
3ヶ月目の更新の時に一般媒介も考えてはいる、とちょこっと話しておきました。
この不動産関係の売却って検索しても専任か一般かは色々あって、すごく悩みます。
この辺とか。
もしも市営住宅に入れるようになったのに、家がまだ売れてないとなったら、それこそ社協で、引越し費用とか必需品の購入費用とか借りないといけなくなるかもしれません(ーー;) 難しいね〜(*-д-)-з
自己肯定感による行動
全くその通りだと思います。頑張った自分は自分で褒めるので、他者の評価はどうでもいいのです。だって自分がよくやったことは自分が一番知っているから(^_^) https://t.co/EWD0QXhbXy
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) April 9, 2019
私はよく「頑張った、偉い」と自分で自分を褒めています(^_^;) だって本当にどれだけやったか、どれだけ集中してやり遂げたか、最もよく知るのは自分ですからね。他人比ではなくて、自分比で頑張った、と思ったら自分を褒める次第(^_^;)
自分の中のハードルは結構高い目なので、それで余計に褒めないと途中でめげてへこたれる可能性がなきにしもあらず…(^_^;)
ええやん。励みになることはなんでもやってみよう。自分を褒めても減るもんじゃないし(^_^;)
やっぱり苦労して修行するのが課題だなあ
この頃しみじみ思うこと。
どう考えても人間は苦労するために生まれてきたんだとしか思えない。その苦労が千差万別多種多様だから他人と比較しようがないけど、私の知る人で苦労をしていない人なんていないもの。みんなそれぞれの課題をこなしつつ生きています。
一説によるとそれが魂の修行なんだそうですが。
大変だけど、もしもこの世がお花畑で天国みたいなら、宗教も文学も芸術も学問も生まれて来なかった気がします。世の中をより良くしたいという願いも希望も、今の現実がそうじゃないから切実な願いや祈りになり、目標になる。人類全体の向上心みたいなものもそうじゃない現実から力を得ている気がします。
泥の中からどれだけ美しい花を咲かせるか?というのは生き甲斐になるのかもしれないなあ。
人が生きた証は苦悩の中から生まれて身をよじりながら育ち、そしてやっと顔をあげて天に向かって花を咲かせる。
人生というのはそういうものなのかもね、とこの頃思います。
宇宙の中の地球の自然の中の私
この「天」という概念ですが、私の場合は特定の宗教の神様とは違うみたいです。ものすごく微妙な感覚なんだけど、「お天道様が見てるから」というのに一番近いのかなあ?宇宙そのもののような気もしますけど、それも微妙に違うかな。
でも自分の中に「天」という視点があるのは確かです。これは気がついたら存在していたので、どこから来たものかわかりませんが。
でも小学生の時にはすでにはっきりしていたなあ。入院中のベッドの中で、おもちゃのガラス玉の中に見ていた宇宙、というのも記憶にあるから、やはり幼稚園くらいの時から存在していたのかもしれません。
天というか、宇宙の一部である地球の自然と天候にものすごく左右される身体を持ってしまったので、そういう感覚にはとりわけ過敏になったのかもしれませんね(^_^;)
これを想定しておくと自分が生きやすいのです。劣等感や性差に基づくあれこれや、そういうものの表面的なものを見るよりも先に内面に目が行くから。その人の外見や属性とかには捕らわれずこだわらず、より本質に近いものを多分見ている。
SNSなどでも私はほとんどプロフィールとかは見てないもんなあ。いいのか悪いのかはわかりませんが、あんまりプロフィールで判断しているわけではなさそうです。
「他人と自分を比較しない」もとより比較する必要がない、というのは幸福度を感じる度合いが高いです。
私の場合は結構反骨精神みたいなものもあるけどね(^_^;) ユニークである自分が好きだというのもあるけどね(^_^;)