救急車の中では病人&怪我人でいてくれと思う
このごろはスマホにカメラがついていて、ちょっとした写真でも見せる場所があるから、「ちょっとそれはどうよ?」という場所で撮影する人がいて、問題になっているようです。
救急車内で写真を撮るのは避けて下さい。珍しい光景でしょうが車内では沢山の医療者が関わっており必死に対応しています。SNSにアップする事で刺激された人達が、軽症でも写真の為に救急車を呼ぶ事も考えられます。
— 高橋怜奈3月13日後楽園ホール🥊 (@renatkhsh) February 3, 2019
救急車は映えスポットではありません。命の現場です。承認欲求は他で満たして下さい。
これは本当に信じられないです。私も両親の急変や弟の異変で10年あまりのあいだに十数回救急車に同乗しましたが、撮影なんかしている気持ちの余裕はなくて、ましてや処置をされている救命救急士さんの邪魔にならないように、なるべく小さくなっていました。
搬送されている本人だったら、もっと駄目ですね。カメラいじってる余裕があるくらいなら、タクシー使えよ、と言いたいです。こういう場所で承認欲求を満たしてもなあ (*-д-)-з とても迷惑。
亡くなった人のことはそっとしておいてください
あと、このごろわりと聞くのがお葬式で亡くなられた方のお顔を撮影するとかで、ちょっとこれも悲しんでいる家族だったら信じられない行動です。これが出来るのは特に悲しくもないけど、その場にいて出席はしている人と見た。
ちなみに私も母のお通夜や葬儀にはバッグにカメラを入れて持ち歩いていたけど、カメラのことを思い出しもしませんでした。ガラケーのカメラも使わないと決めているので、レンズには頼らないです。大切なことほど、脳裏に焼き付けておきたいと思ったので、両親共にお通夜も葬儀の写真も1枚もありません。
あとで、位牌のかわりに両親の写真を仏壇のメインに飾っていますが、これは二人ともがこういうことが好きで、自分たちの写真だけど、同時に「私の作品」だと思ってくれているのがわかるからです。
まあ、本当に偉い仕事もしなかったけど、「創作」ということに関しては二人ともすごく認めて一目置いていて、協力していてくれたから「作品」になるのも喜んでくれていると思います。
これは私の思い入れですね。
神経に触る気がする
でもご遺体のお写真を撮る、というのは私からするとものすごくデリカシーのない行為なんですね。はっきり言って傷つきます。
だって故人には「やめて」って言えないじゃん。それこそお元気ではない写真ですよ。みなさんはそんなのを遺して欲しい? どうせなら大事な人たちには元気で綺麗だった自分を覚えていて欲しくない?
納棺師さんたちの技術は素晴らしくて、本当に綺麗にはしてくださいますが、でもそれは写真のモデルにしてあげたいためじゃないです。ああいうお仕事をされている方々はもっとご遺族の気持に寄り添ってくださっています。
まあ、うちの親戚もだれもそういう馬鹿な事はしないでくれてよかったですが、スマホを壊しかねない抗議のレベルだなあ。あー、でも誰もそういうことはやらないわ、母の身内だしね (^_^;) よかった。
なんというか…、私もとても大事なものはあえて写真に残さない、というところがありまして、レンズに頼らないから五感のすべてで記憶するところがあるんですね。
記憶は必ずしも正確ではないかもしれませんが、徐々に浄化されて、もっとも大切なテーマが作品として残るのさo(^-^)o
そういう時間が必要なの。記録じゃないんだ。もっと大切な記憶なんだな。
いつもカメラがある便利さは怪しい犯罪の目撃とか、逆にとても美しいものを多くの人にシェアしたいとか、そういう時の記録に役立てて欲しいと思います。(ただし、安全にね)
あ、それと私はInstagramのアカウントは持っていますが、閲覧専用です。スマホ持ってないし。普通のカメラだと自作の料理とかの写真も面倒で撮る気がしない… (ーー;)