身体のあちこちが痛いんですが…
なんか変。なにもしてないのにまたいきなり腰が痛い。腰だけじゃなくてまだ手の指も痛いし、あちこちに痛みが移動している感じ。もしかしてこれもうつの症状??
昨日からこういう痛みを感じていますが、結局痛みが移動したりするので、原因が不明です。でもとにかく腰に負担がかからないように、あまり長時間椅子に座らないように気をつけています。今回もぎっくり腰とかではないので、難しいです。
寒さのせいか身体が硬くなっているのはわかります。でもなんで腱鞘炎ぽく親指が痛いんだろう??
算命学の面白い見方
算命学というのは古代中国から伝わるものらしく、水、金、地、火、木の五行が元になっているらしいのですが、人間も自然の一部だという概念があるみたいです。私もきちんと学んだわけではないので、正確なことは言えませんが。
その算命学のブログで時々読みに行くところがあります。
人間も自然の一部だからこういう淘汰も有る、というのが興味深いです。シビアですが、単に可哀想とかいう視点じゃなくて、ここでこう価値観を転換すればいいのかというのが非常に理にかなっていたいるなあ、と。そういうターニングポイントに気付ける人は幸いだと思います。占いなどは依存せず上手く使えれば人生の気付きになるのよね。
ここのブログ主さんは日々充実して生きてれば占いは必要ない、結婚はともかく恋愛の相性相談は無意味だと断言されてて痛快(^_^;) 相性なんてお互いの努力でなんとでもなると思うから。
(でもまあ、あるスピ関係の人に「私とは相性が悪い」と言われたことはあるけど。恋愛じゃないけど、拒否されるとわざわざ近づこうとはしませんでしたが)
この独特の視点が面白くて時々読みに行ってます。心の中で突っ込み入れたりしてますが (^_^;) 実際に話したらきっと癖が強くてユニークな人なんだろうと想像しています。
私の陰占図はたぶんこんなだと思う。高山の花。
占いなどは背中を押して欲しい時に使う
私くらいの年齢になるといろんな占いの手法で見た人生の地図が大体の形で重なって来るのです。依存しなくても勝手に見えてくる面白さはあります。
このごろ亡き父に母の事を相談する必要もないし、自分の事をオラクルカードで尋ねる必要もなくなりました。母の生前には私が決めかねる事態がたびたび発生して、まさにパニクりそうな感じになっていました。決断が必要な事態って避けたくても勝手に向こうからやってくるのよ。
片足を切断する手術なんて、生命が最優先なら仕方がないけど、やっぱりすごく悩みました。私は大抵決断の9割以上を決めた時にあと一押し背中を押して欲しくてカードなどに頼みます。
母の事をカードで父に尋ねると「天国でいつも見守っているから案ずるな」という意味のカードが高確率で出ました。それだけで背中を押してもらっているありがたさがありました。具体的になにをどうするというのではなくても「見守ってくれる」それだけで嬉しかったし。
今は両親一緒にいるからね。あちらのことはもう案じなくていいからとてもありがたいです(^_^;) 父には随分サポートしてもらいました。感謝しかありません (^_^)
このあいだ、頼まれて臨時の便利屋さんみたいになってお手伝いしたご近所のおばちゃん(80代)にさっき道で会いました。
「このあいだはおおきになー」
「こちらこそ (^_^)」
(お礼にプチトマトのパックをもらった)
「なんでも困ったことがあったら言いやー。お金以外はなんとかなるさかいに」
地縁はありがたいです。親子孫三代か四代に渡る相互扶助のご縁。私も子供のころからお世話になっているので、頑張ってお返ししたいです (^_^)
病気やケガの時は見直しの好機
会社員でまじすごいと思う。
— ゆり@経済的自立 (@iionna_business) December 9, 2018
だって、残業して家帰って夜10時とかになってて、自由な時間もなくて、風呂入って寝るだけの生活だけど、
それでもまた、次の日会社に行くわけじゃない。めっちゃ頑張ってるよ。それすごいことだよ。
自覚してほしい。そのポテンシャルあればなんでも出来るってことを。
元気だったら少しくらいの困難をはねのける力があるけど、それが元気じゃない時はやはり「それまでの自分を見直すチャンス」だと思っています。
うつや双極性障害になった患者さんはそこで気付く人が多いです。仮に病気が軽快しても、以前と同じ生活や働き方をしていたら、また二の舞いになってしまう。だからそこで自分の人生と生活を見直して方向転換が必要ならそうやって、軌道修正をしていく機会でもありますね。
思えばわたくしは、子供の頃から、「努力すれば結果は必ずついてくる」という考えで生きてきたように思います。うつ病になって初めて、「努力しても結果のでないこともある」ということを学びました。それだけで、うつ病になった甲斐はあると思います。^_^
— ガラム@双極性障害II型(休職中) (@AL_G_G_LS) December 9, 2018
自分に本当に大切なもの、適切な働き方はどうなのか?そういうものを主体にした人生そのものを見返す好機ですね。病気やケガというのはそういうために経験するのかもしれない、とすら思えてくるから不思議です。
特に精神疾患の場合は哲学的な命題にも触れざるを得ないので、人として成長するチャンスですよね。
人間も自然の一部であるから、暴風雨の降りにはどうやって過すか考える機会があるのはとてもいいことだと思います。そのへんも含めて上記「土星の裏側」の記事は多様な視点を示唆してくれる記事でした。
不調の時こそ、嘆かずに方向転換を含めてそれから先を考えられる時間を恵まれたということなのかもしれません (^_^;)
病気もケガも不自由だからこそありがたいですね。