このごろSNSなどでいろいろと悩みをお持ちの方をフォローしていると、そのほとんどが機能不全家族で育ちました、というパターンがとても多い。
そのご自身の体験などを反面教師にして、自分のご家庭はそういうふうにしないようにしようと努力されている方もまた多いけれども。
でもなんだかだんだん「普通の家族」というのがあやふやに感じられるようになってきてしまって、非常に居心地が悪いというか、もぞもぞするというか、ガラスをひっかいたみたいな不快感が出てきてしまうのは、少数派の宿命だろうか?
なんだかとても落ち着かない。
「#精神疾患 家族に病気を理解してもらうことの難しさ」
— まつさく@双極精神科医 (うつ寄り混合モード) (@sakura_tnh) December 6, 2018
①精神疾患のある人は家族にも精神疾患があることが多い
②理解を求めようとした時にはすでに病気により家族との関係が破綻している
③懸命に対応した末、家族もうつ病等を発症してしまっている#双極性障害 #うつ病 #統合失調症 #発達障害 https://t.co/ecx1CoSlEw
我が家の場合、家族中が精神疾患の患者でもあるというので、無理解に苦しむことはまずあり得ないんだけど、少しでも症状がましな人間、ましに動ける人間が二人分も三人分もあれこれやらないといけない、というのはありました。「ゆっくり寝ててもいいよ」とはとてもとてもね。
うちの場合はお互いさま意識が強いので、なんとか仲良く協力してやってます。もともと喧嘩をしない家族だったから、病気になるとさらにその気力がありません… (^_^;) 不完全家族じゃないことの幸せと平和。
私、家族で喧嘩しようと思ったことないです。親とも弟とも祖父母とも誰とも喧嘩したことがない。母は子供の頃から「あんたが誰も相手にせんかった」と言っていたので、とことん平和主義だったのかもしれない。そのわりに好きに生きてるけど。
誰かが我慢する、という感じでもなくて、お互いに相手の気持ちが読めるという特殊な家族だったと思う。喧嘩の必要性を感じなかった。こういう家もあるので、そういう方がまれだと最近知ってむしろそちらの方が衝撃だったりする。喧嘩は嫌い。仲直りにエネルギー使うよりしないほうが楽。
だいたいこのへんにあてはまるかな。
私の生きづらさは多数の割合を占めている機能不全家族に源を発するあれこれのなかに上手く溶け込めない違和感というか、気持ち悪さというか、そういうものをそういう家族の中で育った人たちと共有している部分があると思っています。それと私本来の成育環境との齟齬というか、そういうものとの摩擦のようなものがストレスになっているようにも思えます。
うまく言えないな。でも機能不全家族で育った人たちと同じようで違うんですよね。自分の家族は出来ていることがどうしてできないんだろうな?というもどかしさみたいなものもありますね。
…なんだかしんどいです。
それとここ数年前から感じていたことですが、初めて読む本の内容にやっぱり既視感があるケースがすごく多い。これも非常に落ち着かないですね。
生まれる前から知っていたことを、一旦忘れて生まれてきて、少しずつそれを思い出しているみたいな…。これも不思議な感覚です。
私の中でいろいろな面が少しずつずれているような感じがする。
で、たまに自分のなかでわけわからなくなったりしています。
いますごく幸せだと感じているのに、そのなかにふと顔を出す「死にたい」という気持ちってなんなんだろうね??
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) December 6, 2018
幸せなのに死にたいとか、嬉しいのに泣きたいとか、ややこしい感情があるから、自己分析が楽しくなるんだな。結構Mですね (^_^;)#Milkカフェ
しばらく大人しいかもしれません (^_^;)
朝に追記。
寝て起きたらちょっと落ち着きました。
寝逃げというか睡眠でリセット⇒再起動みたいな感じかも。
試合前の羽生さんも紀平さんも「お昼寝大事」みたいに話されてました。
やっぱり「再起動」効果だなあ(^_^;)