インプットとアウトプットは一組になってる
親しい人と雑談して楽しいのは、インプットとアウトプットが会話を通して同時に出来るからで、話の合う相手や気が合う相手ですと、お互いにとても刺激になるからですね。会話と知識のキャッチボールな感じ。私はこれが結構楽しいです。
毎週来てくださる作業療法士さんや看護師さんやマッサージの先生や、ヘルパーさん、それと近所のおばちゃんたちや電話をくださる方々とか。
結構深くない会話もしてますが、瞬間的に納得したり、昔の課題が突然腑に落ちたりするから楽しいです(^_^) 人と対峙するのは疲れることも多いですが、その刺激が楽しいので、やはり生活には必要不可欠ですね。
気付く人は気付いてた
ところで、インプットした知識を自分のものとして定着させるのに、一番いい方法はアウトプットというか、自分が学んだことを人に教えることです。
私は中学時代にこれに気がついて、特に試験前の登下校の時に、一緒に帰る友達に教えることで、深い理解に落とし込んでいきました。
優れた先生だと授業中にこれを可能にしてくれたりするわけですが、それが出来た先生は6年間の間に2人くらいしかいらっしゃいませんでした。そんなものなのかなあ。
で、これも検索してみましたら、結構な方が気づいておられました。
教えるためには自分がちゃんと系統立てて理解していないと無理ですし、質問をされれば、仮にその場で分からなくても責任感(多分)のようなもので、きちんと調べてまた教える、ということになるからですね。人が理解すると同時に自分はさらに深く理解できるので…。
教える人がいる時には私はこれが最強の勉強法だと思います。
そしてこれは別に学問じゃなくてもなんでもいいんです。普通に親しい人との会話でもいろんなテーマでたぶんこれをやってます(^_^;) それで自分の中で理解が深まって、納得できて「ありがとう(^_^)」という感じになるんですよ。
よく看護師さんや作業療法士さんから「勉強になりました (^_^)」とか言われてます。べつに雑談しかしてないのに (^_^;)
「会話」はすなわち学ぶことでもあります。そしてこういうブログという形のアウトプットもまた学びです。遊びを兼ねた学びは本当に最強です。これに気づくと人生も楽しいですo(^-^)o
もうこれはほとんど無意識でやっていることなので、思い返していまもひとりで納得している次第ですが…。
フィードバックの意義
私の始まりのきっかけは大抵「なんとなく」なんですよねー。肩の力が入っていない始まり。でもすぐに辞めちゃうものもあれば、何年と続くものもあるし、力を抜いていても続く・続かないは別ものなんだなあ、と思います。
この違いはなんだろうね。辞めちゃうものに執着はないです。
ちゃんとしたフィードバックがあって、それが楽しければ続くのかも。だって人に見せないただの日記はずっと三日坊主だったし。ブログだとそれなりにフィードバックがあるからさ。なんとなくまた続けようという気持ちになるのかもしれません (^_^;)
それでも続かない人はやっぱり向いてないのかもなあ… (ーー;)