つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

人生はやっぱり修行のために存在するとしか思えない

 

現実思考が出来ない脳みそ


まだまだ駄目だ…。考えられない、脳が思考を受け付けてくれない、というか、思考以前に資料の読み込みさえ拒否しているのがわかります(ーー;) 

 

まだ人の気持ちとか、そういう「人が見える」ものはすごくわかりやすくていいのですが…。そうじゃないもの、無機質に近い(本当はそうじゃないんだけど、私がそもそも苦手なんだろうな)システムとか社会とかがよく分からない状態です。

 

こんなところで立ち止まるとは思わなかったけど、可能ならば誰かに丸投げしてしまいたい気分。うつうつ…(ーー;)

 

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昨日たまたま、ネットで見つけたお買い得物件なんですが、そういうのって訳ありじゃないかなあ、と思いました。具体的に何があったかは分からないけど、心理的瑕疵物件というやつね。

 

普通に病死とか老衰とかで亡くなられているのなら気になりませんが、自殺とか他殺とかだったら、何か思念がその場に強く残っていそうであまり気分がよくないです。

 

私は霊感ないけど、自然の変化を無意識に感じて受信しているタイプなので、そういう「気分」に影響を受けそうで困るなあ、と思いました。「気分」も古いものなら影響ないと思うけどね。

 

ああ〜いかん、考えるのは休みにしようと思ったんだった。

 


人生はほぼ修行だと感じてる


昨日ツイッターでぼやいていたのを思い出しました。

 

人というのは生まれるのも育つのも、他人と結ばれるのも、病むのも老いるのも、ただ生きて行くだけでも大変で難しいな。やっぱりこの世は修行の場で、人は修行のために生まれてくるという説に次第に納得せざるを得なくなってくる。宗教とは無関係でも。「人として生きること」自体が基本大変なんだなあ…。

 

だから束の間の喜びとかささやかな幸せとかがプレゼントみたいに感じるんだな。生きているうちに少しでも多くのそれを見つけられたら恵まれた人生だと思えるのかもしれない。

 

だって当たり前に死ぬことすらとても大変なんだもんね。その時が来たら、肉体の苦悩からの解放が死だと感じてもおかしくないと思う。 

 

私の人生、そろそろ修行から解放して欲しいと思うぞ。生まれてから今までずっと修行やん!老後くらいは楽に生きたい!! (これすごく正直な気持ちです)

 


読書好きは祖母のおかげかも


ツイッターといえば、なぜかいつもより多くの方に「いいね」していただいたもの。

 

 

 

何に賛同していただけるのかわかりませんが、まあ淡々とした事実とその記憶です。当時母は機械編みの内職などしていたので、もっぱら京都御苑に遊びに連れて行ってくれたのは祖母でした。芝生の上で、家の中でも絵本を読んでくれたのは祖母。

 

祖母が間違って読んだ箇所も私はそのまま覚えていて、やがてその記憶で読むようになったのが、自然に文字を覚えることにつながったらしいです。

 

「文字を教わった」記憶がないので、祖母が読んでくれた絵本と、家の中に散らばっていた百人一首の取り札が私の国語の原点だと思います(^_^;) それが今でも好きなものの一つとして生きているから、家族からもらった「好きなもの」に間違いないと思います。

 

 

 

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