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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

呼吸をするように本を読む 生まれた時から私の友達だった「本」の話

 

すいません。過去にも何度か書いてるけど、本の話です。

 


最初の記憶とほとんど一緒にあった

 

人の嗜好とか習慣とかがいつどうして出来てくるのか、時々不思議に思うことがあるんですが、自分のことを思い出すと、結構ものごころついた時、わずか2、3歳の頃でも興味があるものって決まりつつあったりしますよね。

 

私の一番古い記憶は生後7ヶ月の頃ので、初春の京都御所の梅園の芝生の上にいて、祖母と母が一緒だったことで、そこだけが灯火のようにぽつっと灯っていて、以後は3、4歳の頃まで途切れ途切れの記憶になるんですが…。

 

この写真も再掲…(^_^;)

 

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でもそういうものごころついた時から、もしかしたら座れるようになった時から、私は本(当時は絵本ですが)を読んでいたし、クレヨンが握れるようになってすぐに絵を描いていました。それからまったく途切れることなく現在に至るまで数十年「読書」と「お絵描き」は続いているわけです。

 

 

べつに教育熱心な家庭ではなかったです

 

小学校もろくに行っていなかった祖母ですが、いつも絵本を読んでくれたので、私は自然に字を覚えました。祖母の間違いをそのまま覚えたらしいですが、家の中に散らばった百人一首の取り札で遊んでいて(たぶん坊主めくりのついでだと思う)ひらがなを覚え。

 

そのうちに私が読む方が早くなったので、すべて自分が読むようになりました。
伯母がくれた日本画家(たぶん)の「かぐやひめ」の絵本が現在の平安時代好きの原点じゃないかと思います。2、3歳でも結構「本物」はわかるから。その絵本がそれだけ素晴らしかったのだと思います。

 

ちょっといまその本は探せませんが、よく読んでた講談社の絵本ゴールド版というのはありました。「はちかづき姫」とか「ぶんぶくちゃがま」とか「安寿と厨子王」あたりは絵を覚えてます。記憶のままですね(^_^;)


講談社の絵本ゴールド版

http://www.umi-neko.com/umi-neko/koudansha/koudansha.htm


幼稚園の時に入院していたら友達のお母さんが「宮澤賢治童話集」のハードカバーをお見舞いにくださったのがいまでも記憶に残っています。「小学生の中学年向き」とありましたが「恭子ちゃんやったらもうこれくらい読めるでしょう」と言ってくださったので、すでにその時は私の本好きは知れ渡っていたと思います。

 

幼稚園でも暇さえあれば園内の本を読んでいるか、お絵描きしているか、の子供だったので。このへんを考えると本当に「三つ子の魂」だと思います。

 

毎晩、市電の停留所まで父を迎えに行くと、停留所の前に本屋さんがありました。で、父の給料日にはいつも本を買ってもらえるのが大変嬉しかったのですね。その時に手塚さんの「鉄腕アトム」なども買ってもらって、漫画の楽しみも覚えました。で、やっぱり幼稚園の時に「小学3、4年生」くらいの学習雑誌も読んでました。

 

 

子供のころから楽しみだった父の給料日

 

うちは経済的に豊かではなかったけれども、私は小学校の学級文庫の本も読み尽くし(だれの好みか名探偵ホームズや少年探偵団などもありました(^_^;))毎月の給料日には当時、盛んに文化的な活動として出版されていた「少年少女世界の名作文学」シリーズを買ってもらっていました。

 

このシリーズは「北欧編」とか「イギリス編」とかが分類されていて、それこそギリシャ神話から西遊記から「ああ無情」とか「三銃士」とか「宝島」とか「若草物語」とか多様な名作が収録されていて、非常に濃い内容の全集でした。

 

小学館(Shogakukan)/少年少女世界の名作文学 全50巻 1964-1968年


いまでもそういう世界の作品の概要を覚えているのはこの全集のおかげです。出版文化が花開くいい時代だったよね〜(^_^;) 母が「うちの子、なんだかこんな難しい本を読んでるんですけど…」と母が担任に相談に行った、というのもいまでは笑い話です(^_^;)(普通そんな相談に行くか??)

 

学校では図書館で、さとうさとるさんの「コロボックルシリーズ」とかアメリカのジュニア小説とか、もろもろ読んでいました。小学校の図書室規模だからわりと読み尽くせるんだよね。

 

コロボックル物語特設ページ|講談社文庫|講談社BOOK倶楽部

 


中学生になっても月に1冊の本はまだ買ってもらっていたけど、私は貸し本屋さんで夢中になった「カムイ伝」とか「サイボーグ009」やNHK大河ドラマをきっかけに吉川英治さんの作品やそのものズバリの古典にもはまっていました。あとSF。ハヤカワ文庫の創刊からまだあまり経ってなかったと思います。

 

それと24年組萩尾望都さんや竹宮恵子さんや大島弓子さんなどの漫画にも夢中でしたし。全部が無理なく自分の中にある、という柔軟な年齢でしたよね〜。しみじみ…(^_^;)

 

dic.pixiv.net

 


お小遣いで厳選して買った本たち

 

高校生になってからは自分のお小遣いでやりくりするようになりましたが、やはり読んでいたのは民俗学関連の本とか、古典とか、SFがメインだったと思います。高校生の時に「百億の昼と千億の夜」とか「遠野物語」とか読むと人生変わります、いろんな意味で…。

 

 

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫JA)

百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

  

 


当時、漫研にいましたが、あんまり活動はしてなくて、でも初めてつけペンで絵を描いたのが高一の時でした。(遅いんですよね)


紆余曲折ありましたが、たぶん他の子がクラブ活動したり、受験勉強しているあいだに読書とお絵描きしてたんじゃないかな。私の中では「ご飯を食べる」こととか「呼吸をすること」と同じ感じであるんですね。すごく自然。

 

双極性障害になってからはしんどい時は本当に活字が読めなくなりますが、漫画なら読めるので、去年の夏にKindleの読み放題で一月に90冊漫画を読破したのは自分でもびっくりでした。でも知らなかった名作に出会えてよかったですが(^^)(そして気に入って手に入る本は紙書籍で買い直したりとか…)

 

 

私の存在とワンセットになっているな

 

なんだかこういうのがごく当たり前になっているので、「私の存在」というのと「読書とお絵描き(創作)」は生まれつきセットになっているような気もしたりするんですが…。

 

同じ家に生まれても弟などは全然本を読まないし、小さい頃にコンセントにヘアピンを刺そうとして母を慌てさせていたので、電気関係の学校や仕事に進んだことはなんとなく納得出来ますが…。

 


甥っ子などは小学生の時に体操教室に通ったら「君、才能あるから本格的にやらないか」と先生に誘われたけど「えー?それって毎日教室に通わんといかんのやろ?そんなん嫌だ」とあっさり断って、体育系のクラブで大学のお誘いも断って、結局は身体を使う仕事をしてますけど…。いずれも子供の頃を思い出すと納得出来る気がします。

 


あ、そうか。いま気がつきました。私が好きなことを好きにしていても誰も何も文句を言わないのは、たぶんそれがご飯を食べるのと同じくらいに「自然なこと」になってたからかもしれませんね〜。いまでもそうですけどね。

 

ご飯を作るのは死ぬほど嫌ですが、仕事ならまだ結構できる気はしますし、実際に出来ますし…。

 

普段から「当たり前に見ていること」については文句の付けようがないんだな、きっと。うん、腑に落ちました(^_^;) いやー、これって結構不思議に思ってたんですよ。ちょっとすっきりしたかも…(^_^;)

 

 

 

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いまのましな気分がずっと続けばいいのに…。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

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