なんとなく昨日の続きで本の話です。
今朝たまたまネットを徘徊していると、「人間性を高めるための本があったら教えて欲しい」というようなご意見に出会いました。
で、ふと考えた。本というのはそもそも人間性を高めるために存在するものだろうか??もしもそうだとしたら、具体的に役立つ本っていうのはどういう本だろう??…と、しばらく考えてみてもまったく思い当たらないのですね、これが… (ーー;)
そもそも私自身が本を読むのは、あくまでも「楽しいから」「面白いから」以外のなにものでもないなあ、と思いました。
私にとっての「本」というのはほとんど食事と同じようなものです。
ものごころついたかどうか、自分でも記憶がないので、母の話を信用すると1歳くらいです。当時の母は編み物の内職をしていて、私のお守りはもっぱら祖母の仕事でした。
私は走り回るタイプの子供ではなかったので、取りあえず車も来ないし危なくない京都御苑の中に行くことが多かったですね。あとは神社の境内とか。「いこか?」と言われると、両手に何冊かの絵本を抱えていました。で、御所の芝生の上で読んでいた、というか眺めていたそうです。
祖母が読んでくれた本の内容をそっくりそのまま覚えて(間違いは間違いのまま)部屋の隅っこに寝転がって音読しているうちに自然と文字を覚えたようです。
家の中にあった百人一首の取り札をよく読んでいた記憶もあります。多分、文字を覚えるのがすごく楽しい時期だったんでしょうね。
父の給料日には市電の停留所まで父を迎えに行って、そのままそばにあった書店で本を買ってもらうのが常でした。(「あんたはおもちゃを買ってもあんまり喜ばへんし…」と母の談)
やがて幼稚園に行っても、友人と遊ぶよりは本を読むかお絵描きするか、という子供でした。幼稚園の中にあった「キンダーブック」なんかの本は全部読み尽くしました。
これは小学生の時も同じで、まず学級文庫の本を読み尽くし、それから図書室の本を読みあさり、という感じでした。父の給料日には本というのも続いていて、このあたりから世界の名作とか文学とかに手を出しています。
世界の文学にも手を出したのは中学生あたりかな?さすがに内容はほとんど忘れています。あ、でも芥川龍之介は当時から現在に至るまで好きですが。
さすがにロシア文学あたりは途中で投げ出した記憶が… (^_^;) 以来、改めて手に取る機会がありません。
中学の時は漫画から歴史物からSFから文学から、ものすごい乱読だったなあ…。なんというか、国語の教科書に取り上げられる本は片っ端から全部読みたくなるんだもんな〜。
鉛筆で漫画を描きながら、よくもあれだけ読めたなあ、と今思い出しても不思議です。
それでまあ、そういうふうに本を読むのがごく当たり前な生活をしてますが、それで人間性が高まったかどうかはやっぱり謎ですね… (ーー;)
読書で身に付くのは想像力(妄想力か?)とか集中力、共感能力あたりかな、と思います。おまけに雑学もいつのまにか、かな (^_^;)
人間性のごく一部でしかないですよね〜。やっぱり実体験が伴わないと身に付かないものの方が大きいと思います。
で、結論。
やっぱり読書は楽しむためのものですね。続けているといつのまにか何らかの心の栄養にはなると思いますが…。
楽しくなければ全部苦行になっちゃうし、苦行になるほどつまらないことはありませんものね〜 (ーー;)