靴を履いたあとが痛い… (T-T)
昨日は久しぶりにバスで通院しました。弟が一緒だとこれができないんですよね〜(ーー;)
ただ足のむくみがひどくて、靴が痛いので、甲の部分がゴムになっていて延びるサンダルを履いて行ったのですが、それでも結構きつくて、バス停からスーパーに寄って帰るまでの距離で、かえって今日の方が地味に堪えていて足の甲が痛いです。
いや、ちゃんと足枕はしてるんですが、慣れてくると寝相が悪くなるみたいで、気が付くと足の下にない時もあります。昨夜なんかは寒いと感じたのか足の上にあったし (ーー;) 無理やりに普通の靴(それでもワイズ5Eです)を履いてもどこかに無理がかかってくるし。歩けないとかになったら冗談じゃないよね… (*-д-)-з
帰宅後にマッサージも受けたんですが、「これだけむくみがあると力を入れてさするのも皮膚の負担になるから出来ない」そうです。ああ、ホントに足の水分を絞りたい。
前回の診断書は3年前だったようで、その時のココナラの仕事での収入ががっくり落ちていて、軽くショックです。ココナラはお金をつぎ込んでテレビCMまでやったけど、個人的にはまったく恩恵を受けてはいませんね (ーー;)
あ、そういえば、昨日弟宛に郵便で振込用紙が届いて、口座から落ちてない分が10万円近くあるから貸して欲しいと言われました。これ、生活費なんだけどさ。ぶつぶつ文句言いながら貸しましたし、少しずつでも必ず返すと言いましたが、メモは書いたけど、目立つところに大きく書いて貼っておこうかと思っています。
うちに来る人は限られてるので、みなさんに証人みたいになってもらおうかなあ、と… (^_^;)。あとでさりげなく本棚のガラスの中に書いて入れておこう。
表現者の世界観
Twitterで見かけた「世界観」という言葉に反応してみます。
ずーっと前から言ってるけどフィギュア界隈で使われる「世界観」という言葉に引っかかる。大げさすぎないかい、と。「世界」なら分かるけど「世界観」ってドイツ語のWeltanschauungから来ていて作者が世界の意味を問うもので、単なる物語のあらすじや曲の雰囲気じゃない。
— Sienna@㊗️国民栄誉賞 (@verona_pro_sec) August 1, 2018
世界を観るのは人間であって作品ではないから、世界観を表現するというからには作者のそれを理解することが前提になると思うの。
— Sienna@㊗️国民栄誉賞 (@verona_pro_sec) August 1, 2018
広義に「世界観」っていうと哲学的なものまで含まれてしまうと思いますし、それを感じさせる生き方をしている人には全然不自然には感じないのが面白いところです。受け止める側にもそれだけの理解力と感性が必要みたいな…。
それでですね、ちょうど3年前くらいになりますね。私が画集を作った時、かつて非常にお世話になったデザイン会社の社長さんに進呈したんですね。(クリニックの先生にも進呈しました)そうしたら、電話をくださって、感想として「世界観がしっかりしているから…」というようなことを言ってくださったのでした。
それで「世界観」について考えた次第です。私の場合は意図して描いているわけじゃなくて、無意識的に出てくるものなんですが、全体としてみたらやはりそれなりの統一感や世界観がある、ということで、その背景には私の人生観や哲学的なものももちろん隠れているよね、と思いました。
でも「表現する」ことってもともとそうじゃないのかなあ?
どんなジャンルの表現者でもそういう深いものを感じさせる人はいますし、そういう人でないと一流になれないかもしれないなあ、とも思います。独自の世界観がある、というのはその人にしか表現できないものがある、ということなのかもしれません。
でも本物の表現者にはそういうのがないと駄目だと私個人は思っています。もともと自分の中に持っている人はおのずと表に出てくるものでもありますが… (^_^;)