ひとつのことに何日がかりやら…?
暑いですね。昨日は京都も38度を越えたそうで、もう外には一切出たくない暑さですが、ご飯の買い物だけは仕方なく行きました。
昨夜はエアコンのおかげもあって、22時から5時まで、割としっかりと眠れました。徐々にまともな睡眠のリズムが戻りつつあるような気がします。
セロクエルの単位は25mgですが、これより小さな単位があってもいいような気がします。私が効き過ぎるだけかもしれませんが。ハサミで半分に切って半錠飲んでいます。目覚めの気分とかも少しずつ調整されつつある感じです。
ただ、24時間消えないしんどさは暑さが輪をかけて、本当に動けなくなっています。無理にやると動悸もするしね…。エアコンの効いた部屋の中で動くのも本当に少しずつしか出来ません…(>_<)
母の祭壇をなんとかしないと、と思ってて、まず遺影を父の遺影のとなりに並べる作業をしました。うちの天井はわりと高いので、踏み台の一番上に乗っても天井には手が届かないのですが、キリで穴をあけて、フックを差し込んで、並べてちょうどいいところに…。
…なんとかこんなもんかな…。
高い場所の作業ですが、弟に頼むよりも自分でやった方が早いので… (ーー;)
ついでに仏壇の上の埃を払って、拭いて新しい敷き紙に交換しました。
あとは中と外の拭き掃除かなあ。出来れば仏壇全体を右に5センチほど移動させたいけど、誰に頼めばいいのやら??紫檀だから重いんですよね… (*-д-)-з
うちは介護があると「ごめん、当分は生きてる人間優先する」と言って、仏壇をほったらかしにする期間が長く(とてもそこまで気も手も回らない)、5年ほどほったらかしにしてました。ホントにごめん。でも後悔してないけど。
もう、本当にぼちぼちしか動けません。でも自分の本棚の方はなんとか先に入れました。
私だけじゃないと思う…
これは弟が中古で買ったという(返品不可らしいのでオークションじゃないかと思う)バイクです。
これをですね、修理して、整備して、免許取って(更新しなかったので、自動的に失効した)保険かけて乗る、と言うところまでいけると思います??
技術的にはかつて車の整備の仕事もしていたから可能だと思います。それと若い頃はバイクにも乗っていましたが、もう若くないし。身体がついてきてくれないと思うし…。
私的には実際に乗れるところまで辿り着ける確率は1割もないと思っています。本人には言いませんが、自分の現状と照らし合わせても無理だもん。
「やりたいこと」とそれを「実行して、ゴールに辿り着けること」との間にはものすごく高いハードルがあるんだよね。元気な人なら苦にならないハードルですが、我々にはものすごい難関な壁です。気力がないとなにも出来ません。
弟のバイクも「私が作りたくて材料を揃えたけど実際に作れないハンドメイドのあれこれ」と本当に近いと思っています。
そこへまた「自転車が壊れた」とか言ってるから、バイクなんかより先に自転車買っとけばいいのに、と文句は言いましたが、あとは私も気力がなくてほったらかしにしています。
ただ生きているだけで疲れる日々です (ーー;)
あなたの親は死なないと思っておられるんですか?
終末期医療に近い立場にいらっしゃる方のつぶやき
90歳を超えて入院してきた患者家族と話をしていると、「親が亡くなったときにどうするかなんて、考えたことも家族で話し合ったこともない」と言う人があまりにも多すぎる。みんな、親は死なないと思っているの?
— インヴェスドクター (@Invesdoctor) July 13, 2018
これ私から見ると本当にびっくりします。みなさん、私と同世代だと思う。私みたいに子供のころから生と死について考えている方が珍しいのかもしれないけど…。でもメメントモリは本当で、価値観も人生観も全部違って見えて、なにが本当に大切かも見えてくるので、大事です。
その過程で親の死についても考えざるを得なくなります。そうすると介護の方向や終末期についても考える必要が生じてきますし。
うちは両親もあまり丈夫な方じゃなかったし、本人たちも不安はあったのかと思うけど、自分たちなりに本を読んだりして勉強していました。へんな宗教にいかなくてよかったと思いますが…。
でもわりと普通に家族の中では生と死についても話題になっていたから、私はそれが普通だと思っていましたが、上のツイート見ると決してそうじゃないんだね。
死を思うということは自分の人生を主体的に選択して生きることでもあると思います。
いつか死ぬから、という目線は無視してはいけないと思う。それはよりよく生きる意味でもとても大切なことだと思うので…。
…まあ、それにしても、みんないい歳になってなにを言ってるんだか (*-д-)-з(呆れる)