病医院も年末休みの時期に
昨日は雪が舞う中を自転車で耳鼻科まで行って来ました。風で鼻が痛くなるからマスクして行ったんですが、マスクの中で息が水滴になっていた。雪だということは気温4度以下なんだよね。
でも明日から耳鼻科も長く休みに入ります。薬も2週間分もらいました。通気の治療をもっと続けるとさらに聴力が悪い右も多少なりとも回復の可能性があるらしいので…。まあ、そうなったら嬉しいです。医療費がかかるのは痛いですが…(^_^;)
ちゃんと治療してきたのに、帰宅するとうっすら鼻血が出てたりして…。気温差が堪えてるのかもしれません。こればかりはどうしようもないですよね。マスクくらいで精一杯。
で、午後は作業療法士さんで、先週の仕事の話をしていたら、「でもまずは体調を最優先してくださいね」と言われました。「そういうのもご縁ですから〜」まあ、そうですけどね。「仕事で一番大変なのはやっぱり人間関係ですよ」と…。うーん…、多分過去になにかあったんだろうな〜。
介護の仕事も長く人が続かないっていうのは、待遇面をのぞけばやはり人間関係かもしれませんね。
どんな仕事でもそうですが、どんどん技術は進歩するから、みんなそれを勉強しないと追いつかない。で、熱心な人は勉強するけど、ちょっと上のリーダー格の人がそういうのにあんまり熱心じゃなくて、学ばないけど口は出す…みたいなパターンだったりしたら、やはり揉めたりするよなあ…。と勝手に想像していた私でした。
首と肩と眼と腕のコリがすごい…(ーー;)
今現在、ものすごく肩と首が凝っています。眼も凝ってる感じ。今年の疲労はそっちに出てる?? 「両腕に集中して1時間くらい取りたいですねえ…」とマッサージの先生にも言われます。自分で可能な場所はやっていますが、肩の後ろには届きませんし…(ーー;)
まあ、新年のサイト更新の準備はできているので、相変わらずゆっくりとお絵描きしています。
Facebookがタイムラインから拾ってくれたのが2年前の記事。2015年の12月もやっぱり本(画集)を作っていました。年末に入稿して、年初めに出来てくるパターンですね。
同人誌と印刷の歴史を辿って来ました
もともと同人活動をしていた時も、イベント合わせで本を作ることは避けていて、印刷所に余裕がありそうな閑散期を狙っていました。
それも大変で、東京の印刷所だったら、友人に送って、原稿をチェックしてもらって、それを直接印刷所に持ち込んでもらうというパターンでした。今現在のデジタル入稿がものすごく羨ましいです。
漫画の台詞なんかも、友人が当時和文タイプの仕事(ちょうどバブルの頃か?まだPCがない時代です)をしていて、ネームのコピーを郵送して、活字のポイント数なども指定して、それを打って送ってくれて、自分で切って貼って…の時代でした。会社で写植も使っていましたが、やはり個人で使うには高かったので…。
ひどい文字だけど、手書きもしたし、ワープロも使ったし…。
あの経験を思えばフルデジタルのDTPなんてどうってことないわ、と思ってしまう。
まあ、それでも仕事でも趣味でも同じようなことをしてたんだから、基本的に私はそういうことが好きなんですね(^_^;)「本を作る」という過程のすべてにワクワクしてしまう人間です(^_^;)
高校時代は漫研におりまして、そこで初めてつけペンを持った、というくらいに遅い経験でしたが、まだコピー機もいまいち普及していない時代で、会誌を作ると言ったらガリ版だったりします(ーー;)
同人グループの会誌はブルーコピーだったので、あの薄いトレーシングペーパーにペンとインクで描きました。修正が効かないので、絶対に失敗してはいけない、怖い原稿でした。(力を入れて消しごむかけたら破れるし)
…なんだか近代の印刷の歴史をひととおり体験してきたような気がします…(*-д-)-з まあ、それなりにどれも面白かったですが(^_^;) ほとんど生き字引になりそうな気がする…(ーー;) 肉筆回覧誌も知ってますし…。
で、結局お絵描きはまだこのへんをうろうろしています(^_^;)
行けたら明日にでも母のところに行きたいなあ…。