そういうものなのか…?
昨夜、この記事を読んで、ちょっと意外、でも理解できそうな気もする、と思いました。
要するにPhotoshopマジックがかかった自分の方を「本来の自分」だと思うほうが気が楽で、そうじゃない自分を見るのが次第に嫌になってくる、というのかなあ、と…。
どこかで修正ありの写真が嫌になって、それをやめた人の話も読んだことがありますが、本当にbefore&afterの写真なんていまや簡単に作れてしまう時代だしね… (ーー;)
ファッション雑誌の写真なんか無修整のものなんておそらくほとんどないと思います。最近はプリクラでも勝手に目が大きくとか足が長くとか修正してくれるそうですし… (ーー;)
写真嫌い
ところで私は写真を撮られるのが嫌いです。子供の頃からです。
幼稚園の頃までは親がマメに写真を撮っていましたが、弟も生まれて、徐々に親にも余裕がなくなって(要するに面倒になって)撮らなくなったので、それ以降は学校での集合写真くらいしか撮ったことがありません。
自分の顔は好きでも嫌いでもないですが、最近はめっきり老けたので、あまり見たくないですね (^_^;) …かといってアンチエイジングする気はさらさらないですし、証明写真もどうしても必要な時でもすっぴんで撮りますが…。(自分で修正も可能だけど)とにかく面倒くさい (ーー;)
高校生になった時に、見知らぬ他校の男子から突然電話がかかってきて、交際を申し込まれたことがありました。「どうして私のことを知ってるんですか?」と聞くと、同じ中学出身の後輩(私の同級生)から卒業アルバムを見せてもらった、と言われました。
ちょっと待て。それでわかるのって外見と、可能だとしても後輩の人物感とか印象だけじゃないの?そりゃあつきあってみたらもっと詳しいことがわかるかもしれないけど、当時の私もやっぱりオタクで忙しくしていたので、お断りしました。
「卒業アルバム」経由の話は何度かあって、今から思えばお見合いの原型みたいな感じだなあ、とも思えるんですが、もとより私は結婚する気がないからそういう心理がいまいち理解出来ませんでした。実際に同じ学校で動いている相手を見ているわけじゃなし。
写真だけでなにがわかるのよ、と思ってしまうあたり、とことんお見合いには向かないタイプですね。すごく軽く見えて嫌でした。おそらくもっと内面的な理解を求めていたんだと思います。
身体があることの違和感みたいな…
本当を言うと、私はしょっちゅうしんどいから、自分に肉体があるのが邪魔というか、違和感のようなものを感じて仕方がありません。身体がなければ出来ないことばかりだけど、でもそれすらもしんどさで足を引っ張られるから、肉体ってある意味牢獄みたいに感じることもあります。
もっと自由に思うように行動出来ればそこまでは感じないかもしれませんが…。でもやっぱり目茶苦茶不自由だと思ってしまいます。肉体が死ぬ時にやっと魂が解放されるのかもしれません。
そのかわりに身体は逆に過敏で正直に情報のアンテナでもあるので、良し悪しですね。アンテナという意味では感度が良すぎる気がしますけど…。
五感を使って否応なしにその身体の存在を認識させられるので、記録の写真なんか残したくないと思います、そのかわりに自分が書く(描く)ものが私の記録のすべてでもありますし。
「私という人間」を表現したり書き記したりするのはネットやブログってもってこいの方法かもしれません。実名でやることには抵抗もありませんが、でも絶対に写真は出しません。
そもそも撮る側でも私は人物を撮ることには興味がないようです。家族とか、そういうのは最低限撮りますが、いままでに旅行に行っても、自分の写真はほとんど撮っていません。本当に記憶に残したい場所って撮らないほうがくっきりと残ることもあるから不思議ですよね。まあ、同行者のスナップはお愛想で撮るけど、自分は絶対に入らない。
もしいま、どこかに行けるなら自然や風景はたくさん撮ってきたいと思いますが… (^_^;)