どうしても存在する「こだわり」
先週、訪問看護師さんと作業療法士さんにドールのフォトブックを進呈したら、「こういうのも仕事にできるといいですね(^^)」と言われました。
仕事、というとフォトレタッチのことかな?と思いますが、技術的には可能だと思います。
私は本当にごく普通にあるコンパクトデジカメで、全部おまかせ設定で撮影しているし(メカに弱いから細かい設定ができません)、ブレさえしなければ、写真映りの方はちょびっと修正するだけでほとんど手を加えなくてもいいものが出来るからですね。
そうこうして遊んでいるうちに、切り抜きやら修正やらは大体わかるようになっています。ココナラでの仕事もありますし…。もともとフォトショッパーなので、それは基本なんですよね。だからレタッチの仕事も技術的には可能です。
…が、ここにひとつ問題が…。絵や文章と同じで「ここまでは加工してもいいけど、これ以上はダメ」という自分なりのこだわりが厳然と存在するからです。
たとえば人物ならシワやホクロを消すとか、若干スマートに見えるようにするとか、そういうのは可能ですが、その修正が不自然すぎるラインになると拒否反応を示すようになります。Photoshopマジックをかけるにも限度がありましてね…。その辺はやっぱり譲れないものがあるんだな。
「ここまでなら許す。でもこれ以上は許せない」という明確なものが存在します。特に創作関係のジャンルでは。微妙に発達障害っぽい感じもありますが、でも私はこのこだわりを治したいとは思わないんですよね。困ったね〜。こだわりにひっかからない範囲でなんとか出来るといいんですけど… (*-д-)-з
「こだわり」というか微妙に「ポリシー」かもしれない…。生き辛いはずですが、これがないと多分私は私でなかったと思うから…。
突き詰めていく思考のタイプ
このごろわりといろんな人に「あなたは物事を突き詰めて考えていくタイプだから、それで疲れやすいと思うし、気をつけてね」というような主旨のことを言われます。まあ、そうだなあ、と自分でも思いますが、「考える」というのは意識してやるのではなく、無意識にやっていることだから、これもやめられるものではありませんよね。
私の場合は大抵直感で得た答えの論理的裏付けが欲しくて考えている場合が多いです。まあ、大抵直感は間違えないんですが。(これも誰かに指摘されたことがあります)まあ、直感が経験則から来ているとしたら、まんざら的外れにはならにと思いますが…。
無意識でやっていることだから思考する、っていうのは辞められないよなあ、と思います。それも私らしくていいのかもしれませんが…。まあ、生きていて脳が活動している限り、人はなにかを考えているのって当たり前だよね。疲れないように適度に楽しいことも考えたいと思います (^_^;)