母のところに行こうと考えているので、その前に。
いまさら気がつくのもあれですが…
私って結構ポジティブ思考なのかなあ?と、このごろ思うんですが、別に無理をしてそうしているわけじゃなくて、全然ストレスもかかっていないし、今の私にはこれが自然なことなので、果たして生まれつきのものなのかどうか、ちょっと考えてみたりして… (^_^;)
まあ、10代の頃は日々自己嫌悪の嵐だったのは確かですけど、でもだからといってなにもしていなかったわけじゃないなあ、と思いました。
具体的に振り返ってみる…。プラスとマイナスは大抵セットになっている。
プラスは赤で書いてみますね
16歳~17歳の夏。
修学旅行先で慢性盲腸が悪化して手術。その後貧血状態で外出したために初めてのパニック発作。
盲腸炎は知らぬあいだに癒着しまくっていたために、その後、数年間の痛みが残る。
秋、体調不良で慢性膵炎との診断。入院しなさいと言われたが、安静と食事療法で自宅で過ごす。
高校はしばし休学。
この機会に学校では作れなかった「趣味のあう友達」を作ろうと、雑誌の文通欄に応募して全国に友達が出来る。その延長で漫画の同好会結成。おまけに親友も出来た。嬉しい。
どうせ食事療法するなら(実際、食後安静にしないと辛かったし)いくらか症状がましになってからは、ついでにダイエットしようと決意。きちんと栄養とカロリー計算をして正統派のダイエットをした。66キロくらいあったのが47キロまで減ったし、その後15年間キープしたけど、体力はあまりなくて、あれはどうだったかな?と思うから、多分二度とやらないけど。
18歳春。
まだ体調は悪く、もとから興味がなかったので(専門的にやりたい学問がなかった)進学はしないと決めた。うちは代々、「たいしたことない学校に行くくらいなら高卒で働く」という意志が強く(甥や姪にも受け継がれていてちょっとびっくり)私も「手に職をつけること」を考える。
個人のお宅に洋裁を習いに行く。基礎がわかればあとは独学みたいなもので、わからないことをまとめて教えてもらう方式は今も私の基本。(従兄に数学習った時もそうでした)
23歳~25歳。
パニックが起きても病院にいれば心配ない、というので、通信講座で医療事務を習って資格を取って、小児科医院に就職。余暇に漫画を描いて同人誌製作に充実の日々。
30歳。
あまりにも体力がなくて風邪ばかりひくのと、医院の状況が変化したために辞めた。
半年だけ親に猶予をもらって漫画に集中。同人誌を発行。
その同人誌持参で面接に行ったら、来てください、と言われた。私がずっと創作を続けていた実績のようなものが鍵だったらしい。
その後、在宅介護に入っても、お絵描きの方はずっと続けていたし、本当にどういう出来事も私はあまりマイナスだと思っていないふしがありますね。「こっちが駄目なら、こっちに力を入れればいい」という感じで…。
じっとぼーっとしていたことがほとんどないかもしれません。
蛇口を捜すタイプだと思う
毎回Yukiさんの記事を取り上げさせていただいて恐縮ですが、典型的な「蛇口はどこですか」タイプじゃないかなあ、と自分でも思います (^_^;)
自分はこれが普通だと思っているから、他の人の反応の方がむしろ意外に思えたりするくらいです。いつからこうなのか?もう自分でもよく思い出せないですが。
ただ物心ついた時からずーっと「絵を描くこと」が私を支えてくれていたことは一番確かです。それはいまでも続いていますしね。
なんだか仏教的な解釈では生きることにそもそも意味はないらしいですが、私の場合はこういう意味があったからこそいままで生きてこれたのだと思っています。意味がないよりはなんらかの自分なりの意味があった方が充実度が全然違うと思います (^_^;)
意味が必要なくても生きていける人はそれでいいけど、私には必要なんだ、だからやはり生きている限り、そういうものを求める人生が楽しいと思います (^_^)
予期不安を抱いても、起きるのはパニック発作だけなので、そういうことに気を向けない方がベスト、と30年以上かかって学んだ実績(?)もありますし (^_^;)
こういうことが軽躁の症状なら申し訳ないですが、何十年も続いて、しかも鬱の時もそれなりに続いているなら軽躁とは言えないだろうな…。