腰痛と頭痛とダブルできてます (ーー;)
腰痛というのはやっぱり頭痛とも連動しているな…。まあ、神経は脳で接続されてるからどこかで影響があってもおかしくないですが…。
ちょっと軽いぎっくり腰みたいな感じです。別になにかやったわけではありません。昨日の夕方に疲れたから横になってて起きたらピリッと神経に来た感じです。もともと顔を洗ったとか、浴槽に栓をしたとかでもなったことがあったから、重いものを持たずともなる時はなります。
午後からマッサージなんで、先生に相談してみよう。大抵はひどくならずに治りますが、治らなければ整形外科受診になりかねませんし…。あー、なんかガタガタだなあ、って感じがする… (ーー;)
「いのち」を考えようと思った本
一昨日あたりからゆっくり読んで考えていた本。「重い障害を生きるということ」
ここで言われる「重い障害」というのは身体障害と知的障害の重度心身障害児をメインとした障害を持つ人たちのことですね。自分では食事も排泄も不可能で、ほとんど寝たきりの彼らを初めて見た人は、そのあまりの現実の重さに衝撃を受け、やがて「かわいそう」と言うそうです。
その「かわいそう」の意味が「こんなになってまで生きていないといけないのがかわいそう」という意味になります。本当にそうだろうか?という疑問から、長い間直接にそういう子供たちと関わってきた著者の思考が始まります。
終戦直後、親を無くし、あるいは棄てられたこどもたちを見捨てることが出来ないで、なんとかしようと奮闘する3人の人たちの経緯が紹介されています。頭が下ります。
終戦直後の福祉は「やがてまた改善して社会に貢献出来るようになる」前提で考えられてきたことを、そうじゃない、という形にするまでに、それを多くの人に訴えて働きかけて来た人たちの努力が本当に尊いことだと思えます。
それと今と同じような偏見はその当時にもあって、人はたやすく変われないのか、という残念感もありますが、でもそれよりも多分、なにか手助けをしたいという気持ちは多くの人の中に宿っていて、そのひとつの形が1987年の「抱きしめて琵琶湖」の25万人参加の運動ですね。
これは私も記憶にあります。参加したいと思ったから…。でもその当時は自分はまだパニック障害の不安から抜け出すことが出来ずにいて、結局参加がかなわなかったのですね。今思うとかなり悔しいですが。
1961年に北浦さんという、重度障害児を抱えるご両親が国に訴えると「障害が重くて、社会の役に立たない者には国の予算は使えません」という返事が来て、ひどく驚いてこう言われています。
「どんなに障害が重くても、真剣に生きているこの命を守って欲しい」「社会の中の一番弱いものを切り捨てることは、その次に弱いものを切り捨てることになって、社会の幸せに繋がらないのではないですか?」
こういう人たちが重い障害児のためにどれだけ努力して、すこしでもその幸せを願って来られたのか考えると、いま現在私たちもいろいろと福祉関係の制度の恩恵を被っていますが、それらがいかにして獲得されてきたか、そのために尽力して来られた多くの人の心と行動と努力を思う時、私たちもまたなにか、自分にも出来ることがあるのではないかと考えずにはいられません。
こういうテーマは非常に深い哲学的テーマを含んでいます。いのちとはなにか?人間とはなにか?
私もいろいろと見てきたから…
私も実際にこういう重度障害児を育ててこられたご家族は数組知っています。中学時代の友人の家族であったり、小児科勤務時代の患者さんだったり、もしくはご近所さんだったり…。みなさん、家族で協力して、大変よく面倒をみてこられました。きょうだいたちも仲がよく、協力して障害のある子の面倒をみておられました。
毎日接する家族だから、あるいは施設のスタッフだから、ほんのわずかな変化でも、素早く見て取ることが出来ます。その子がいま現在、気持ちがいいのか、よくないのか、気持ちが良ければ家族やスタッフもそれが伝わって気持ちがいいのですね。こういうことは介護の現場でも多々あると思いますし、人のみならず、動物が相手でもそうだろうと思います。
「気持ちは通じる」「心は通じる」だから彼らの「いのち」は「光」となり得る。
心身に重い障害のある人は、身体障害が重く「ねたきり」の状態であり、知能(精神発達)の障害も重く、自分では何も考えず、何も出来ないようにみえる。ただ人の世話によって存在しているだけのように思える。
もちろん誰もがもっている「いのち」を生きている。この人たちにあるのは「いのち」だけであると言える。この人たちが大事にされるということは、「いのち」が大事にされるということであり、この人たちが粗末にされるということは。「いのち」が粗末にされるということになる。
この課題は生きている限り、考えるべきものであり、出来れば行動に移したいことでもあります。
私にとっては自己啓発本の何十冊よりも重く、価値ある1冊でした。