そんなに疲れて見えるのかな?…疲れてるけど…
昨夜は疲れたので、8時過ぎには横になって本を読んでたら、読みながら寝落ちしました。10時ごろだったと思います (^_^;)
で、朝目が覚めたら4時44分で、トイレに行くついでに薬罐でお茶を沸かして、朝の薬を飲んでまたちょっと寝たようです。結局起きたのは6時半頃でしたが、朝の不調はどうしようもなく… (ーー;)
それでも気になるから母のところには行ってきました。
が、顔を見るなり「はよ帰り」と言われてしまったので、よほどしんどそうな顔してたのかも…。いやー、往路のタクシーの運転手さん、結構残念な運転で(下手なのかどうかはわたしには判断できませんが)乗り心地悪かったです (ーー;) さすがにデパス飲んでたから酔いはしませんでしたが…。
運転のうまい人とそうでもない人って素人でも乗り心地でわかってしまうなあ…。父や弟の運転は乗り心地よかったから、それなりに上手かったと思いますが…。私のナビで家族4人であちこちドライブ出来た頃が懐かしいですね。祖母が留守番していてくれたし、みんな健康だったしなあ…。
私の生涯、この先に旅行出来ることってあるんだろうか?と、ふと思ってしまいます。一人旅可能になるくらいなら、自分が結構元気にならないと無理だろうしね…。いつだって今が一番若いんだしね。この先は歳を取る一方だけど、まあいいか。ご縁があればなんとかなることもあるでしょう (^_^;)
あちこちの「ご縁」
私はよく「ご縁」というのを使いますが、たとえば「合縁奇縁」というのはもとは仏教用語だそうです。
合縁奇縁
合縁奇縁とは、人と気持ちが通じ合うのも、通じ合わないのも、不思議な縁によるものだということ。
「合縁」は気心の合う縁、「奇縁」は奇しき縁(不思議な巡り合わせ)という意味。
「愛縁奇縁」「合縁機縁」とも書く。
「ご縁」というのは本当に面白くて、今のネットの世の中ですと、連絡したいなあ、と思ってメールを出してもいくらやっても届かないことがあります。事故といえばそれまでだけど、なにかが邪魔をしているような気がすることもわりとあって、そういう気がする時にはその相手とは無理にご縁を結ばないほうがいいんだろうな、と思って、諦めます。
逆にご縁がある場合は本当に奇跡的なタイミングで連絡がついたりもしますしね。それはそれで誰かが手助けしてくれているような気もするんですが、それならありがたいなあ、と思ってご縁を結ばせていただきます。
自分だけのパワースポットがある
なんか、いろいろありますよね。行きたいと思う場所があるけど、なぜか何度チャレンジしてもそこには辿り着けないとか、そういうつもりで出掛けたわけじゃないのに、ふと気がつくと前から来たかった場所にぶつかったりとか…。
そういうのも「ご縁」って気がする。特に神社仏閣だったりすると余計にそういうことを感じてしまいますね (^_^;) 学校とか、お店とか、観光地とかでもそういうのってありますよね。
「ご縁」が出来た場所は自分には特別、というのが嬉しい気分。それでその場所が気に入ったりすると、そういう場所が自分にとってはパワースポットみたいになるんだと思います。私にとっては京都御苑の中もそうかな。ずっと遊び場所だったから…。
よく本で紹介されているパワースポットとかは違うんだよね。自分だけのアンテナが働く場所の方がきっと有意義なんだと思います。
まあ、大体有名なパワースポットは自然の中にあるので、自然の大気が気持ちいいんですが…。伊勢神宮しかり。お稲荷さんしかり、鞍馬しかり…。どこも行ったことがありますが、ああ、ここは大樹が一杯で気持ちがいいなあ、と思いました。
逆に富良野のラベンダー畑とか、美瑛の丘とか、大樹は少ないですし、農耕地だったりしますけど、やっぱりとても気持ちが良くて、「私にはここもパワーもらえる場所だなあ」と感じてました。アイヌの人たちの聖地とか沖縄の古くからの聖地とかも強そうだなあ…。
知らないところに行くと、そういう場所との出会いがあって、それが一番楽しいです。美味しいものもありますけどね。のちのちまで創作にパワーをもらえるのは「場所の記憶とエネルギー」なんですわ (^_^)
もう一度、一人旅でも出来るくらいに元気になりたいなあ。国内でいいから…。
テーマも決めずに書き出した記事ですが、こういう気持ちに辿り着いたみたいです (^_^;) 文章がどこに着陸するかもなにかのご縁だと思ってしまうな (^_^;)