高砂や、あの浦舟に帆をあげて
元日からおめでたいニュースが飛び込んでまいりました。
ブログ仲間というか、お友達というか、長く続けておられるお2人が、やはりブログをきっかけにより親しくなって、めでたく入籍されたというのものです (^_^)
ゆきにーさんとあけみさん。ほほえましくお2人のご報告です。
いやー、本当に「ご縁」というのはこんなに意外な場所にあるんだよね。出会ったご縁をしっかり育てて結びつけるには双方の努力が必要ですが。
他人の幸福を素直に喜べない人は
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年1月1日
他人の才能をやはり素直に認めたくなくて
嫉妬して足を引っ張りたくなったりするんだろうな
小さい人間だよね
その比較をやめない限り、自分も幸福になれないと
気付いて欲しい
他人の幸福を素直に祝いたい
他人の才能を素直に認めたい
そういう幸福な人間でありたい
縁は異なもの
おもいがけないご縁で知りあって、結婚したカップルというのはうちの弟もそうなんですけど。
30数年前だから、まだネットはなくて、きっかけが私が読んでいた少女漫画雑誌(LaLaだったと思う)の欄外に、当時は「文通希望」というコーナーがあって、「京都の人と文通したい」という義妹の希望があって、たまたまそれを見つけた弟が手紙を出したのが始まりだったようです。
山梨と京都の遠距離恋愛で、当時はまだネットの時代ではなく、文通と長距離電話がメイン。「今月の電話代が10万超えた!」と大騒ぎしていた時代です。現代なら通信費用がもっと少なくて済むんだけど。
でも距離に負けないのが恋愛のパワーですから (^_^;) 本人達だけじゃなくて、家族ぐるみで行ったり来たりしてましたが、まあ、新幹線代だから、新潟ー沖縄間よりはましかもしれません。
で、めでたく結婚したのが昭和61年ですね。
そのころはまだ弟もパニックの傾向はあったのものの勤めてはいましたし、大企業の正社員でもあったので、そんなに障害はなかったけど、やはり発病してしまって、それからいろいろと苦労があったわけです。それでも2人の子供に恵まれましたが。
その子供たちが良い子で、まあ、それもご縁だと。結局はいつまでもよくならない病気で子供たちによくない影響があるから、離婚する、ということになった感じです。義妹は保育士でよく働いていましたが、結局そんなに長く続くご縁じゃなかったのかもしれません。
でも甥や姪や義妹とはいまでもなんとなくの交流はあります。十数年、同じ家で生活してきた実績は重いのでした (^_^;)
順風ばかりではないからこそ
私が見るとあれもいいご縁。
ゆきにーさんとあけみさんの場合はお互いに調子が良くない時の状況が早くわかって、無理をしないペースもよくわかるだけに、うまくお互いのフォローが可能な点が、実は長所になるんじゃないかと思います。
相手に引きずられちゃうタイプの人もいますけど、家族のこととなると、フォローするために頑張れるケースもあるので(私はそうかもしれません)、お互いに早めに相談して協力して日々大切に暮らしていただきたいと思います (^_^)
…なんつって、すごいわかりきった余計なことを言ってるなあ、という自覚があるんですが。
本当に健やかなる時も、病める時も、ですよね。
影ながらあたらしい航海の無事をお祈りいたしております (^_^)
去年はいろんな意味で人生の転換期を迎えた人が多かったらしい。私なんか丸一年間がかりでわかりやすい転換期だったしね。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年1月1日
で、なんのための転換かというと、やはりより良い方向を目指すためでありましょう(^_^;) エネルギー使っちゃた人も充電しつつ頑張りましょうね(^^)